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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-源氏物語講話-

第5回
夕霧巻のおもしろさ


「まめ人」の恋

夕霧巻のおもしろさについて考えてみたい。直前に柏木の死と女三宮の出家、及び、その後日譚めいた話が続いて、物語は、まことに哀調を帯びた展開となった。物語というものは、本来はエンターテイメントであり、物語作者は、このままではいけないと思ったのか、この巻には、読者が吹き出してしまうような場面が随所に用意されている。私など、この巻を初めて読んだのはいつのことであったかは忘れたが、随分と笑ったような記憶が残っている。

たとえば、必死の決意で落葉宮に迫り、ようやくその身体を捉えたにもかかわらず、「お許しがなければ、これ以上は、決して何もいたしません」などと言う場面では、そんな状況で、「許します」なんていう女がいるか!?と、呆れるよりも腹が立ったりしたものだが、しかし、それが「マメオトコ」特有の“臆病さ”だと思うと、よくよく考えてみれば、これが世の普通の男たちの偽らざる姿には違いないと、いわゆる「色好み」のように颯爽と行動できない夕霧の姿に、むしろ、最後は同情と共感の念も浮かんだりしたものだ。―おもしろうてやがてかなしきまめ男


また、なんといっても面白いのは、朝帰りの夕霧に対する妻の雲居の雁の態度であろう。落葉宮の母御息所からの手紙を愛人からの手紙と思い奪い取る場面など、夫の浮気を疑う妻の姿勢は、もはやストレート勝負なのだが、肝心の夫は、浮気も何も、実際は当の相手からまともに拒否されているのだから、どうにも情けない。

つまり、夕霧巻の印象は、よく言われる「あはれ」といったようなものではなく、可笑しみや滑稽といったような印象が強いのである。

巻の冒頭からして、そうではあるまいか。

 まめ人の名をとりて、さかしがりたまふ大将、この一条の宮の御ありさまを、なほあらまほしと心にとどめて、おほかたの人目には、昔を忘れぬ用意に見せつつ、いとねむごろにとぶらひきこえたまふ。下の心には、かくては止むまじくなむ、月日に添へて思ひまさりたまひける。
(真面目人間という評判を取って、分別ある行動を心がけておられる夕霧大将は、一条宮にお住みになる女二の宮のご様子を、やはり最高に理想的だと、強くお心にとどめられて、外聞としては、柏木との縁を忘れずにご配慮なさるというふうに見せながら、内心では、このままでは済ますことはできないと、月日が経過するに従って、その思いを強くお持ちになられるのであった)

冒頭の「まめ人」という言葉であるが、「まめ」とは、「真面目」ということで、「まめ人」という言い方には、その「まめ」ぶりを揶揄するニュアンスがある。今の言い方なら“真面目人間”とでも言ったところで、“真面目な人間”という言い方とは違う。諸注の多くが“堅物”と訳す所以でもある。

今でも、一般論ではあるが、真面目な堅物男が、中年になって恋に狂うと手がつけられない、というようなことを言うが、「まめ人の名をとりてさかしがりたまふ」と言われる夕霧こそ、まさにその典型と言っていい。

とにかく、真面目なのである。しかも、その真面目だという評判を裏切ることなく、中年となった今(当時三十歳は立派な中年であった)でも、それを“地”でいっている、というのであった。

そういう夕霧が、今まで自分が知っている女性(雲居の雁と典侍)とは全くタイプが違う一人の未亡人に夢中になったのである。しかも、その“夢中”になり方が「まめ(真剣)」であるから、何が何でも我がものにしたい、という思いを抑えられない、というのである。

真面目男が、一転狂ったように恋にのめり込むということはよくあることで、この物語は、「花や蝶や」(三宝絵詞)という当時のきらびやかな恋物語の世界に、“まめ人の恋”という新しい要素を加えた物語と見ていい。そういう意味では、「夕霧物語」は、『伊勢物語』「第二段」の“まめ男の恋”から着想を得たものと考えられるが、このことはあらためて論じてみたい。


巻名の「夕霧」

ところで、読者が最初に読む言葉が、その巻の“巻名”であることは、言うまでもない。この巻名が「夕霧」として登場することについて、あらためて考えてみたいと思う。

たとえば、「新潮日本古典集成」の『源氏物語』では、巻名の説明のくだりで、この巻の主人公夕霧の詠んだうたにちなむ、という説明を施している。その歌は、

山里の あはれを添ふる 夕霧に 立ち出でむ空も なき心地して
(山里の情趣をさらに深めているこの夕霧のために、私はここを立ち去ることもできずにいる気持ちでおりまして)

というものだが、御息所の見舞いという口実で、比叡山麓小野の山荘を訪れた夕霧が、御息所の代わりに応対する落葉宮に、折しも、「夕霧」が立ちこめてきた状況から、ここを出て行くことが難しいと、一夜の逗留を請う場面である。

この歌なのだが、確かに、この「夕霧」という語彙が“巻名”の由来となっているという事実は否定できないであろう。しかし、それは、この箇所まで読み進めてきた時に分かるのであって、読者が、最初にこの“巻名”を目にしたときの印象とは異なるのではないか。実は、“諸注”、この夕霧の歌については、次の『古今和歌六帖』の歌を指摘している。

夕霧に 衣は濡れて 草枕 旅寝するかも 逢はぬ君ゆゑ
(夕霧に衣がぬれてしまって、私はここに旅寝をすることだ。逢ってくれようとしないあなたのせいで)  (『古今和歌六帖』(一)「霧」五「来れど逢はず」)

この箇所、最初に当該歌を指摘したのは『源氏釈』だが、この歌の意味するところは、愛する女に逢いに来たものの、女は逢ってはくれない、折しも立ちこめた「夕霧」のせいで、男はそこを動くに動けず、衣も濡れてしまい、このまま外で「旅寝」をするしかない、という苦渋の思いを歌ったものと思われる。

まさに“題詞”に掲げる「来れど逢はず」を、「夕霧」の情景に添えつつ歌い上げたものである。つまり、別の言い方をすれば、女のもとを訪れたものの、女とは逢えない情況が、この「夕霧」という言葉に集約されていると言えるのである。

玉上琢弥博士は、このことについて、次のように解説された。

わずかに「夕霧に」の五文字に、原歌をしのばす。しのんでもらいたいと作者は読者に要求して、巻名を「夕霧」としたのである。(『源氏物語評釈・第八巻』)

作者紫式部は、「夕霧」という言葉一つの提示で、主人公の夕霧が、落葉の宮のもとを訪れるものの、実際には逢うことができない―男女の関係には至らない―ことを予告しているのである。そのことは、この巻を読み進めてゆくことで、夕霧には気の毒だが、びくともしない強固なテーマとして貫かれている。夕霧が、勇気を奮い立たせて、落葉の宮の袖を捉えても、あるいは、一条の宮の塗籠の中で強引に、共に一夜を明かそうとも、結局は、この巻においては、夕霧は宮を我がものにすることはできなかったのであった。

とすれば、作者は、すでに、巻名の提示の段階において、「来れど逢はず」という夕霧物語のテーマを暗示したものとも考えられるであろう。まさに、「まめ人」夕霧ならではの、いっぷう変わった恋のはなしではあった。

「まめ人」の恋は、このように滑稽さをもその要素とすると言っていいが、続く「御法」巻においては、あたかも、物語世界が「明」から「暗」に転ずるように、紫の上の死が描かれるのであった。




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