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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-源氏物語講話-

第10回
『源氏物語絵巻』を読む(一)


「琴(きん)の琴」と天皇家

王朝貴族が演奏する楽器として「琴(こと)」と呼ばれる絃楽器群がある。それらを挙げてみると、「和琴(わごん)」「筝(さう)」「琵琶(びは)」「琴(きん)」の四種類ということになる。このなかでは、最も一般的なものが「筝」であって、現在でも女性を中心に「箏曲」で親しまれている。絃が十三本あり、これらの中ではもっとも大ぶりのものである。

王朝貴族の姫君たちは、絃楽器を弾く(「あそぶ」という動詞は管絃の演奏を言うことが多い)ことが嗜みの一つであったため、『源氏物語』では、姫君の生活に密着する関係上、絃楽器の「琴」は数多く登場する。『源氏物語絵巻』の「橋姫」巻では、薫が垣間見をする場面で、宇治の姫君たち(大君・中の君)が「筝」と「琵琶」に興じるところが描かれている。

「琵琶」は身体(腕)で抱えて撥で弾くものであり、「和琴」はこの国固有の絃楽器であった。この「和琴」については、また別に稿を改めなくてはならないが、この楽器に「大和琴」「あづま琴」などの別称があるのは、これが我が国固有の楽器であることに因んでいる。

そして、これら「筝」「琵琶」「和琴」などとは際立って対照的な絃楽器が、「琴(きん)の琴」であった。「七本の絃」からなるので「七絃琴」とも言ったが、これは『源氏物語』でも演奏される場面はそう多くはない。それもそのはずで、この楽器は、すでに、一条朝(11世紀初頭ごろ)には演奏する人がいなくなっていたのである(以後長らく廃絶したようだが、江戸期に復元され、現代においてもごくわずかだが演奏者は存在している)。

『源氏物語』が語る時代は、一条朝よりも百年から五十年ほど前の「醍醐・朱雀・村上朝」を中心に設定されていることから、この「七絃琴」が登場するのである。その名手が、光源氏なのであった。

「琴(きん)」は、中国渡来の楽器であって、中国においては、「君子」たるものが嗜む特別な楽器でもあった。その特別な楽器がこの国に伝来すると、当然のことだが、朝廷にもたらされるところのものとなる。すなわち、それは、わかりやすく言えば、天皇家が所有する特別な楽器として位置づけられたのである。つまり、「琴(きん)」とは、伝来後の本来の性質としては、それは「天皇の楽器」であると考えるべきであろう(古代の七絃琴が正倉院に所蔵されているのもこのような性格からである)。当然のことながら、誰もが自由に弾けるというような雰囲気はなかったのではなかろうか。

むろん、天皇の楽器というような言い方をしても、「七絃琴」を常に天皇が弾いていたということではなかった。それは、本来のあり方というような意味であり、つまり、その存在の尊貴性、さらには、神秘性などが強調されたのである。

ところで、平安時代後期に制作された『源氏物語絵巻』は、王朝貴族の生活空間を精密に描写するものとして注目されるが、その中に「宿木」巻を描く数枚があり、その一枚に、時の今上帝と薫が碁を打っている場面がある。そこは清涼殿内の一室と思われるが、ある時、田中親美の模写版を丁寧に眺めていたら、厨子の上部に琴が置かれていることに気がついた。ひょっとして、この「琴」は、「七絃琴」なのではないかと思った私は、それをデータ化したうえで、PC上で拡大してみることにしたのである。

田中親美は、『源氏物語絵巻』を精緻に模写したことで知られる大和絵師であり、本物の絵巻を、その汚れや剥落までも忠実に再現したのであった。本物に肉薄し、それこそなぞるように模写したのであるから、そこにはもとのかたちが正確に復元されている違いないのである。データを拡大した私は、息を呑んだ。はたせるかな、絃の数は、明確に「七本」なのであった。つまり、厨子の上に置かれている琴は、「琴(きん)の琴」なのであった。ということは、『日本絵巻大成』(中央公論社)『源氏物語絵巻』の当該場面の解説(徳川義宣氏)にある「左の厨子には上に筝」は、あきらかに間違いということになるのである。

この清涼殿内の一室の厨子の上に置かれた「琴」について、それが「七絃琴」であることを予想したのは、実は、先にも述べたように、「琴(きん)」は、古代、特別な楽器として位置付けられるきわめて尊貴なものであったからである。それは、天皇の持ち物としてふさわしい。

『源氏物語』の主人公である光源氏は、『源氏物語』「桐壺」巻において、高麗の相人から次のような予言が示されている。

国の親となりて、帝王の上なき位にのぼるべき相おはします人

(国の親となって、天皇という最高の地位に昇るべき相がおありの人)

光源氏の人物規定と言うべきであって、これは、ありていに言えば、光源氏が天皇の資質を有する人物であることを明確に示している。

そして、この物語は、光源氏のそういう人物像に従って展開してゆくことになるのであるが、この「七絃琴」もまた、そのような光源氏の人物造型に寄与するものとして、その役割を発揮しているのである。たとえば、それは、光源氏が七絃琴の名手であるということだけにとどまらない。須磨謫居にあたっては、この七絃琴をわざわざ携行し、その土地において、まさに、独り格調高く弾奏する描写は、都を退去した光源氏の尊貴性を逆説的に際立たせているのである。あるいは、「宇治十帖」の「八の宮」も名手とされるが、彼の弾奏はついに描かれることはなかった。

これらのことを含めて、『源氏物語』における「七絃琴」のあり方を再検証することは、この物語の魅力をさらに深めることになるだろう。そして、もう一点、『源氏物語絵巻』というものが、王朝貴族文化についての精緻な有職を物語るということにも、今後大いに注目しなければならないと思う。

この稿続く

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