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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-源氏物語講話-

第16回
大い君の死について(五)


宇治の姫君と紫の上

八の宮の山荘の位置が当時の宇治院の対岸に設定されたのは、避暑地のロケーションとして、宇治院側の「堰」に直面する場所とは大きな格差があったこともあるが、その後背地に「宇治山」があったことも要因の一つであった。すなわち、次に挙げる『古今集』「巻18」「雑歌下」「題知らず・喜撰法師」の歌のイメージである。

わがいほは みやこのたつみ しかぞすむ 世をうし山と 人はいふらむ

(私の庵は、京の東南にあって、このように俗世から離れて棲んでいる。世間では、この山のことを、世を厭い憂きものが棲む「うし山(宇治山)」と言っていることであろう)

この喜撰法師の歌で「世をうし山」と詠われている「山」は、八の宮の山荘の背後の「宇治山」(現在の「喜撰岳・喜撰山」)ということになる。そして、「橋姫」巻に、「この宇治山に、聖だちたる阿闍梨住みけり」と紹介される「宇治山の阿闍梨」こそ、八の宮が強く師事する人物であることは周知のとおりであるが、この宇治山の阿闍梨が、宇治十帖前半の物語の展開においては大きな鍵を握る人物になるのであった。そういう意味においても、八の宮の山荘は、宇治山に続く場所でなければならず、宇治の別業を代表する宇治院の対岸でなければならなかったのである。

あらためて言うまでもないが、「宇治十帖」の開幕は、零落した皇族「八の宮」の話から始められている。貴族、皇族の没落は、この物語(源氏物語)を貫く作品としての本質に関わることであろうと思われる。たとえば、『源氏物語』正編(光源氏物語)を振り返ってみれば分かることだが、その誕生から青春時代を彩る「桐壺」「帚木・空蝉」「夕顔」「若紫」のすべての巻に登場するヒロインは、没落の家の姫君か女君であった。実は、男性主人公である光源氏にしても、没落貴族出身の女君(桐壺更衣)が産んだ皇子であって、結果として、桐壺帝の直接の庇護を受けながら成長することになるのであるが、それは稀にみる幸運というものなのであった。

おそらくは、この物語の作者紫式部という人は、当時の王朝貴族社会を生きる者として、そこを安寧に生きてゆくことの難しさというものを、誰よりも深く認識していた人であったに違いない。

作者は、王朝貴族社会の最上流階級におけるまことに厳しい現実を、宇治院の別業と厳しく峻別される宇治川の対岸に描きながらも、しかし、「宇治十帖」世界のオープニングにあたっては、あくまでも鮮やかな恋物語の予告を行っていた。その予告が、「橋姫」巻の、まさにその巻名の「橋姫」なる歌語であることはすでに述べたとおりである。その恋の物語の一方の当事者が、女三の宮が産んだ「薫」であることは言うまでもないが、対するヒロインが、八の宮の二人の姫君のうち、姉の「大い君」ということになるのである。このヒロインと邂逅する場面が、『伊勢物語』の「初段」に基づいて制作されていることはむろん周知の事実であろう。

この物語において、『伊勢物語』の「初段」に基づく場面は、すでに、「若紫」巻において、光源氏が紫の上を垣間見する場面で用いられていたのだが、作者はふたたび、この「宇治十帖」世界の開幕においても、それを用いたということになる。この物語の作者の、『伊勢物語』への深い顧慮というものを思わざるを得ないだろう。

『伊勢物語』「初段」の物語としての興味は、没落貴族であるが故に「ふる里」(旧都奈良)に棲む「女はらから」を、その地に「鷹狩」にやってきた貴公子が偶然垣間見し即座に求婚するという話にあった。このことは、「女はらから」の側からすれば、思いもかけない幸運の物語として読むことが可能であったのだが、そういう物語の骨格を生かしたまま、『源氏物語』「若紫」巻の紫の上は、この物語のヒロインとして登場したのであった。したがって、紫の上のその後の生涯は、没落の家の姫君でありながらも、まさに、サクセスストーリーのヒロインさながらの人生を生きてゆくのである。今にして思えば、光源氏に引き取られた後の紫の上の人生というものは、なんと危ういものがあったことか―。当時、そういう女が源氏のもとにいると噂で聞いた正妻葵の上方では、その女は「召人」に過ぎないと歯牙にもかけなかったように、その存在は、立場上実に危ういものがあったのだ。しかし、我々読者は、そういった彼女の危うさにはほとんど実感を持つこともなく、まさしく、物語のヒロイン故の「幸ひ人」としての生涯に目を奪われ、その幸運を心から祝福するという、なんともお人好しな読者であり続けたのではなかったか―。

このことは、よく考えてみればわかることだが、「若紫巻」に登場した紫の上は、ほとんど孤児同然の境涯であった、と言えるのである。当時の母系制貴族社会において、生母はすでに亡く、在るは年老いて病に苦しむ出家した祖母と近侍する数少ない女房たちであった。父の兵部卿宮は自身の娘とは認知しているものの、その父としての存在は名ばかりのことであって、祖母の死後、紫の上を待ち受ける運命は、まことに過酷以外のなにものも予想されなかったのである。そういう状況のなか光源氏という貴公子が登場し、当時の物語の定型として、みごとにヒロインを救い出してゆくのである。これは、何度も言うことになるが、それは物語の既定のことであったから、物語はその規定に即しつつ進展してゆくのであった。

作者は、「宇治十帖」において、今一度、その定型を持ち出したと言えるだろう。その姿勢は、持ち出したというよりも、むしろ物語の定型を繰り返そうとしていると見るほかはないが、なぜこの定型は、繰り返されようとするのであるか―。それは、光源氏物語のヒロインである紫の上の、その幸運な生涯というものへの深い顧慮だと言えるのではないか。作者は、宇治の姫君たちの物語の造型にあたって、我々読者に、もう一度、紫の上の生涯の厳しさを突き付け、さらにその比較を求めようとしたのではなかったか。

「橋姫」巻で、宇治の姫君たちを垣間見する薫は、物語に登場する男性主人公である以上、光源氏同様、落魄の家の姫君を救わねばならない。それが物語の定型というものである以上、物語というものは、そういうものとして、その後、確実に展開してゆかねばならないのである。

しかし、これだけは確認しておかねばならない。宇治の姫君たちと紫の上との最大の違いを指摘するならば、それは、親がいる姫君といない姫君との違い、ということなのである。具体的に言えば、宇治の姫君には、彼女たちを鍾愛してやまない八の宮の存在があって、しかし紫の上には、そういう存在がなかった、ということなのである。

この稿続く

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