河地修ホームページ Kawaji Osamu
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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-源氏物語講話-

第20回
大い君の死について(九)


姫君たちの後見―八の宮の依頼と薫の承引

「橋姫」巻の後半、八の宮は、薫に姫君たちの後見を託したと思われる。そして、薫もまた、それを承引したことも確かなことであった。

「橋姫」巻に続く「椎本」の巻頭は、「橋姫」巻末を承けた翌春の「二月二十日」、匂宮が初瀬詣の帰途に、宇治の「別業」に「中宿(なかやどり)」をする場面が語られている。その「別業」とは、「六条の院」(光源氏)から夕霧が伝領したもので、当然のことながら、夕霧の子息たちや薫も出迎えに馳せ参じた。その「夕つかた」には、貴公子たちは管絃の遊びに興ずるのであった。

その風情は、対岸の八の宮の山荘まで届き、八の宮に、都でのかつての雅やかな生活を思い出させるに十分のものがあったようだ。「あはれに久しうなりにけりや」と慨嘆する八の宮だが、それにつけても、姫君たちの今後を危惧する心情を、物語は次のように綴っている。

姫君たちの御ありさまあたらしく、かかる山懐(やまふところ)にひき籠めてはやまずもがな、とおぼし続けらる。宰相の君の、同じうは近きゆかりにて見まほしげなるを、さしも思ひ寄るまじかめり、まいて今やうの心浅からむ人をば、いかでかは、などおぼし乱れ、

(二人の姫君のお美しさがもったいなく思われ、このような山に囲まれて鄙びたところに一生暮らさせるようなことはしたくないものだ、とお思い続けられる。宰相の君(薫)は、どうせなら親しく姫君たちの婿としてお世話したいようなお人柄だが、薫は、そういうふうには考えてみようとはしないようだ、まして、当世風の軽薄な男などでは、お話にもならないだろう、などとお思い乱れ、)

このくだりは、八の宮の独白に続く心情の部分で、近侍する女房の視点から語られているものであろう。ここで注意したい点は、二人の姫君に都の貴公子を婿にしたいと思いながらも、婿の具体的候補として薫を迎えるということに関しては、「さしも思ひ寄るまじかめり」(薫は、そういうふうには考えてみようとはしないようだ)との観測を持っているということである。

この述懐は、「橋姫」巻において、八の宮は薫に姫君たちの後見を願い出て、すでにその確約を得たものの、それは「婚姻」という形態による後見を必ずしも想定していなかった、と読みとるほかはなかろう。つまり、八の宮は、仏道における求道者、薫との人間的繋がりに頼ろうとし、その人間性に賭けた、ということなのである。しかし、八の宮は、姫君たちへの薫の後見を、本当に、婚姻関係抜きで考えていたのであろうか。そして、薫もまた、そういうかたちでの後見を確約したのであったのだろうか。

「橋姫」巻から「椎本」巻へと続く八の宮と薫との会話には、薫の本音になかなか迫れない八の宮と自身の本音をストレートに述べることをしない薫との、まさに王朝貴族的な典雅なやりとりが流れていることを感じるのは私だけではあるまい。

当たり前のことだが、八の宮は、自身の死後のことを考えねばならない。自身の死後、二人の姫君はどう生きていくのか、という差し迫った命題に答えを用意しなければならない。そして、巻名の「椎本(しいがもと)」という言葉は、俗聖(優婆塞)である八の宮の厳しい入山修行の在り方を暗示する歌語(優婆塞が行ふ山の椎が本あなそばそばし床にしあらねば『宇津保物語』)であったから、この巻で、あるいは、そのまま入寂の道へ旅立つことも予想できるであろう。八の宮は、いよいよ自身に与えられる最後のテーマとして、二人の姫君を薫に託すことについて、当の薫からの確約を得なければならなかった。このことは、具体的には、薫へのさらなる依頼につながることとなろう。「橋姫」巻の場面から九ヶ月後の七月、宇治を訪れた薫と八の宮との会話を次に引こう。

(八の宮)

「亡からむのち、この君たちを、さるべきもののたよりにもとぶらひ、思ひ捨てぬものに数まへたまへ」

など、おもむけつつ聞こえたまへば、

(「私がこの世を去ったなら、この二人の姫君を、何かのついでにでも訪ねて、お見捨てにならぬ者としてお心におとめ下さい」

などと、意中をほのめかしながら申し上げなさると、)

(薫)

「一言にても、うけたまはりおきてしかば、さらに思うたまへおこたるまじくなむ。世の中に心をとどめじと、はぶきはべる身にて、何ごともたのもしげなき生ひ先の少なさになむはべれど、さるかたにてもめぐらひはべらむ限りは、変はらぬ心ざしを御覧じ知らせむとなむ思うたまふる」

など聞こえたまへば、うれしとおぼいたり。

(「一言ではありながらも、先にご意向を承っておりますから、けっしてお気持ちを無にするようなことはございません。この世には執着を持つまいと、切り捨てている身の上で、何事も頼りになりそうもない前途の心細い私でございますが、そうした有り様でも、この世に生きております限りは、変わることのない気持ちをお見届けわかっていただこうと思っております」

などと、申し上げなさるので、八の宮は、嬉しいとお思いになっている)

八の宮が「おもむけつつ」話を切り出すというところは、以前(橋姫巻)の薫の承引を再確認したいという思いの表れであった。八の宮の思いがいかに切実であるかを物語っていよう。そして、薫は、「一言にても、うけたまはりおきてしかば、さらに思うたまへおこたるまじくなむ」と、「橋姫」巻での承引を、自らの「一言」という言葉を引用しつつ、姫君たちの将来の後見を再確約したことになる。八の宮の様子が「うれしとおぼいたり」と表現されるのは当然のことであった。

そして、その夜、「月の明らかにさし出でて、山の端近き」時分、八の宮と薫との、心にしみいるような会話が交わされ、両者の思うところは理解しあえたかと思われる。薫は、「声にめづる心」(音楽を楽しむ心)は捨てがたいとし、姫君たちの琴の音を聴きたいと所望する。それに対する八の宮の対応の様子を、物語は、次のように語っている。

うとうとしからぬはじめにもとやおぼすらむ、御みづからあなたに入りたまひて、切にそそのかしきこえたまふ。

(薫と姫君たちがこれから親しくお付き合いすることになるきっかけにもしようとお思いなのであろうか、ご自身から姫君たちのお部屋にお入りになり、強くおすすめ申し上げなさる。)

「うとうとしからぬはじめ」について、この場合、「これから親しくお付き合いすることになるきっかけ」、と現代語に置き換えてみたが、姫君たちと薫が、親しくお付き合いをするとはどういうことか―。それは、たんなる後見の域を超えて、あるいは、どちらかの姫君の婿として薫を迎えることの可能性を、八の宮は、否定してはいないということなのではなかろうか。姫君たちのどちらかの筝の琴が、わずかに弾かれて終わったのを受けて、八の宮が、「おのずからかばかりならしそめつる残りは、世籠れるどちにゆづりきこえてむ」(「偶然にもこのように筝の琴を弾きならすばかりの親しい仲にして差し上げたこれからのことは、若者同士にお任せ申し上げることにしよう」)と言って、自身の部屋に帰ってゆく姿は、おそらく、これから先のことは、婚姻のことも含めて、薫に委ねたい、という気持ちの表れかと思われる。

そして、すぐに紹介される八の宮と薫の贈答には、二人の間に暗黙の了解が流れているものと判断するしかあるまい。

(八の宮)

われなくて草の庵は荒れぬともこのひとことはかれじとぞ思ふ

(私がいなくなってこの粗末な山荘は荒れ果てたとしても、姫君たちの後見をお約束なさったことは、姫君たちの琴の音色とともに、確かにお聞き届けになられるものと思います)

(薫)

いかならむ世にかかれせむ長き世の契り結べる草の庵は

(どのような世になっても私の姫君たちへの後見のための訪問はなくなることはございません。末永くとあなた様との間でお約束申し上げたこの山荘へは必ず参ります)

このような八の宮と薫とのやり取りを見る限り、少なくとも、両者には阿吽の呼吸ともいうべき了解事項が認識されたと思わざるを得ない。それは、薫による姫君たちへの確かな後見を依頼する八の宮の心情とそのことに対する薫の確実な承引の表明であった。

そして、薫は、八の宮からの切実な依頼を、婚姻含みのことと了解したのは当然のことであった。自身の性格として「さしもいそがれぬよ」(別段焦る気にもなれないことだ)としながらも、「領じたるここちしけり」(もう姫君たちは自分のものであるという気がするのであった)と薫の気持ちが直接表明されるのは、物語の流れとしては、ごく自然のことであったとしなくてはならない。

この稿続く

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