河地修ホームページ Kawaji Osamu
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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第15回
『伊勢物語』作品論のために(四)
「初冠本」について、もしくは「狩使本」のことなど


「初冠本」の意義

「初冠本(ういこうぶりぼん)」という謂いがある。『伊勢物語』にのみ使用される専門用語であるが、最近はあまり聞かなくなった。わざわざ「初冠本伊勢物語」と断るということは、「初冠本」ではない『伊勢物語』が別にある、ということになる。すなわち、「初冠本」に対する別のものとは、「狩使本(かりのつかいぼん)」と呼ばれるものである。

ここで、両者の性格、及び概念上の違いについて触れておくことにしたいが、それは「初冠本」というものの存在、さらに、これとは別に「狩使本」というものがあった(らしい)、ということが、この物語の置かれている、あるいは、置かれてきた、深刻な事情を物語っているからである。

 

「初冠本」のほうが解りやすい。「初冠本」とは、『伊勢物語』の構造上の特色を言う。端的に言えば、物語の最初に「初冠」の段を置き、最後に「終焉」の段を置く、そういう「伊勢物語」のことを指す。

こう言えば、それは当たり前のことではないか、『伊勢物語』というものはみなそういうものではないか、と言われそうである。確かに、現在、『伊勢物語』と呼ばれる作品は、今日伝わる古典籍の写本、板本を含めて、そのすべてが「初冠」から「終焉」までの、いわゆる「一代記」の構造を有している。

つまり、現行の『伊勢物語』は、そのすべてが「初冠」(主人公の元服)の「初段」に始まり、「終焉」(主人公の死)の「最終段」に終わっているのである。

 

 

「一代記」の構造に大きな意義を認められたのは、おそらく故石田穣二博士だったのではないかと思うが、博士は、明確に、この構造こそ『伊勢物語』が「一個の作品」であることを保証するものである、と述べられた。

今でも、この物語について説明するときに、「大小様々な短編からなる歌物語集」という説明を目にすることがあるが、そういう一見「雑纂的」性質を有するものを「作品」としてまとめようとする意思として、この「一代記」の構造を指摘されたのである。

 

たとえば、『源氏』の作者が「物語の出で来はじめの祖(おや)」と呼んだ『竹取物語』を始めとして、『源氏』以前の今日残るところの平安朝の「作り物語」は、実は、みなこの「一代記」の構造を有している。

当時の散逸した物語や『源氏物語』『三宝絵詞』などで取り上げられる「多様で雑駁な物語類」は措くとして、今に残る『源氏』以前のいわゆる「作り物語」(本格物語)は、みなこの「一代記」の構造を持っているのである。このことは、おそらく「物語」というものが、当時、「物語文化」として様々に展開していた「多様で雑駁な物語類」から「作品としての物語(作り物語)制作」という創造的次元へと昇華する段階において、条件的に「一代記」という構造的要素が求められた結果ではないかと思われる。

『竹取物語』を「物語の出来はじめの祖」と『源氏物語』が言うのは、そういうレベルの物語の「祖(おや)」としての『竹取物語』への評価であったろう。

 

「一代記」とは何か―。それは人間の生涯に渡る記録ということである。それは、その対象となる主人公が、どういうふうに生まれ、生き、そして死んだか、ということを物語るものである。

そして、言うまでもないことだが、人の生涯は、間違いなく、その時代を生きる人々が共有するところの「歴史」に重なる。

「歴史」とは「系譜」である。『源氏物語』を始めとする「本格物語」、すなわち「作り物語」が、いきなり主人公からではなく、その「親」のことから語り始めるのは、そういう「家の系譜」としての認識が、そこにあるからである。

 

では、『伊勢物語』の場合はどうか。「初冠」とは、古注釈の時代から解釈に揺れのあった語ではあるが、現代では、「元服」ということで、共通の認識ができあがっている(ただし、単なる元服ということではなく、年若い(初)元服ということである)。今日の男子の成人式に当たるもので、要は、大人になった、ということである。

このことについて、石田穣二博士は、物語とは恋の話だから、成人するまでの物語は省略されたのだ、『源氏物語』の「桐壺」巻が、ほとんど主人公の両親の話に終始し、光源氏自身についてはあまり語られないのはそういうことだ、と述べておられるが、そういう意味では、『伊勢物語』が、主人公の元服、「初冠」から始まるのは、「恋」と「一代記」という要素を融合させた結果のものと言えるのである。

すなわち、『伊勢物語』が、「一代記」という明確な構造を持つということは、この物語が、王朝の「物語文化」の主要形態であった「多様で雑駁な物語類」とは、明確に一線を画すものであることを物語っている。今日において、「物語」としては「一代記」の形態を持つものが結果的に残っているのは、それらが、当時においては特別に大きなエネルギーによって制作されたものであることを物語っているのである。

 

ところで、この物語における「一代記」の構造とは、「初冠」と「終焉」の章段の存在のみによって保証されているのではない。読んでいけば明らかだが、緩やかではあるが、物語に登場する主人公としての「男」は、総体として、物語の展開につれて「齢」を重ねていく。また、それと同時に、物語内の「時間」は、確実に章段の進行とともに推移していくことがわかるのである。

この物語は、むろん、各章段が、形態としては、独立して存在している。しかし、だからこそ、そういうものが、主人公の生涯(一代記)として纏められていることの意味は大きい。独立する各章段とは、ある意味で「多様で雑駁な物語類」と言うことができるのであって、それらを、おおまかではあっても、一つの生涯として有機的に統一しようとする力学が働いたものが「一代記」なのである。そこにこそ、強力な主張を伴う「一個の作品」としての意味を見出さなくてはならないのではないか。

何度も言うが、ある特定の「時代」に重ね合わせられる「一代記」の形態とは、明確に、「ある歴史」を強く意識することによりもたらされた結果のものと言えるのである。

 

この「一代記」(初冠本)の構造を顧慮することなく、『伊勢物語』を、単に「歌物語集」などと理解してはいけない。各章段について、それらが別次元に存在するというような視点に基づけば、この作品は「一個の作品」ではなくなってしまうである。

正確な読解が難しかったという事情があったとしても、この物語を「作品」として明確に認識することができなかったところに、『伊勢物語』を巡る研究上の混乱があったと言うほかはない。古い時代のことではあるが、「狩使本」などというものの出現は、その最たる結果のものではなかったかと思われる。

 

「狩使本」について

「狩使本」とは、冒頭に、主人公の「男」が「狩の使(勅使)」として伊勢に下り、その「二日といふ夜」に、神宮に仕える「斎宮(いつきのみや)」の来訪を受けるかたちで一夜の逢瀬を持つという話―現行ほとんどの『伊勢物語』の「69段」―を冒頭に置く『伊勢物語』のことである。そして、最終段は、「忘るなよほどは雲井になりぬとも空ゆく月のめぐりあふまで」の歌を持つ話―現行の11段に当たるもの―を最終段に置くものであるという。ただし、私自身、この本についての知見はない。

 

この「狩使本」については、林美朗氏によって、残された断片資料を駆使しての復元研究が試みられたが(『狩使本伊勢物語―復元と研究』和泉書院、1998年)、実は、この「狩使本」の存在、もしくは評価とでもいうべき事柄については、早くに藤原定家が明確に述べている。以下、定家書写のいわゆる「武田本伊勢物語」の奥書から、定家の当該の言葉を引用する。

    近代以狩使事為端之本出来、末代之人今案也、更不可用之

「近代以狩使事為端之本」が「狩使本」なのであるが、定家は、「末代之人今案也」と、後の世の人間が作ったものと断定している。「更不可用之」、けっしてこれを用いてはならないという口吻には、当事、「御子左家」(俊成・定家)と対抗していた「六条藤家」(顕輔・清輔)への反撥というだけでは終わらない、古典学者としての定家の強い矜持とでも言うべき姿勢を思わせるものがある。

この「狩使本」の存在については、清輔の『袋草紙』やその子の顕昭の『古今集註』に触れはするものの、しかしその印象は、ほとんど漠然としたものとしか言いようがないのである。

この「狩使本」の出現は、おそらく、当時の『伊勢物語』の学問上の最大課題であった「題号問題」への不審があったものと思われる。すなわち、その書名の合理的説明という観点から考えれば、それは、定家の言うように、間違いなく後世の改竄本と断定すべきである。

 

このような改竄本がたやすく出現するというところに、当時の人々の間で『伊勢物語』を「一個の作品」として見るという認識が希薄であったことを物語っている。だが、そのあり方は、あるいは、今日においてもほとんど変わらないものがあると言っていいのかも知れない。

 

2012.1.15 河地修

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