河地修ホームページ Kawaji Osamu
http://www.o-kawaji.info/

王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第23回
第二段の主人公―「業平」と「まめ男」(2)

 

「かのまめ男」の問題

丁寧な確認のため、煩を厭わずに、次に第二段の全文を掲げてみよう。

 昔、男ありけり。奈良の京は離れ、この京は人の家まだ定まらざりける時に、西の京に女ありけり。その女、世人にはまされりけり。その人、かたちよりは心なむまさりたりける。ひとりのみもあらざりけらし。それを、かのまめ男、うち物語らひて、帰り来て、いかが思ひけむ、時は弥生のついたち、雨そほ降るにやりける、
  起きもせず寝もせで夜を明かしては
   春のものとてながめ暮らしつ

この章段の最後にある歌を見た途端、読者は、『古今』「恋三」巻頭歌の業平詠であることが分かるのである。そして、歌から「在原業平」であることが明白なこの章段の主人公が、なぜか「昔、男」と語り出され、さらに、「かのまめ男」と呼ばれている。このあたりの呼称の問題を考えてみなければならない。

「在原業平」であることが明白な主人公をあえて「男」と朧化することについては、この物語の物語制作上の方法論の次元のことであって、すでに先学にも言及があり、さらに、この筆者も、過去に稿を草している。簡単に言えば、この物語の主人公「昔、男」の、在原業平的人物像としての拡大であった。

つまり、この第二段に至って、「昔、男」が「在原業平」であることが明らかにされることで、すでに前にあった隣接の初段に描かれた主人公「昔、男」が、史上実在の人物「在原業平」ではないかと読者に推測させるということなのである。そういう意味では、初段と第二段とは、明らかに緊密に連携する二つの章段であって、作者の周到にして深い思索のもとに制作された「発端」と言うべきである。

 

しかし、この第二段の物語文から、在原業平についての事情をうかがい知ることができるような表現は、大胆に言えば、何一つないと言っていいのではないか。「男」が、「西の京の女」を「うち物語らひて」、「帰りきて」、歌を遣った、というだけなのである。しかも、この表現のうち、「うち物語らふ」が他に例を見ない語句であることから、その主人公のイメージはさらに茫漠としている。茫漠としているが、あえて言うならば、主人公の「昔、男」を「かのまめ男」と言っている点ということになろうか。

この「かのまめ男」について、諸注は明確な解を出せていない。「まめ男」とは、現代語として直訳すれば、「まじめ男」というほどのものであって、少し揶揄するような趣がある。控えめに言えば、「まめなり」の語幹の用法であり、「まじめ」を強調する語句ということになろう。「まめ男」については、今は措くとして、この「かの」をどう処理するか、という問題がある。

「かの」は、あの、というほどの意であるが、離れたところのものを指し示す指示語と言っていい。「この」が近称であるなら、遠称ということになるが、しかし、ここで、「かの」が用いられる場合、読者が、すでにその指し示す対象を認識していることが前提となる。つまり、「かのまめ男」とは、あらかじめ読者が知っているという前提である。この場合、考えられる対象は、既出の「男」となるのであって、一番近いところでは、第二段の「昔、男ありけり」の「男」だが、遠称というこの語本来の性格に即して考えるならば、初段の「男」ということになろう。

となると、初段と二段の「昔、男」は、同一人物という前提で連続しているということになるが、物語内容から考えると、この両章段の主人公からは、なかなか共通の人物像が見出しにくいのである。むしろ、初段と二段とは、きわめて対照的であり、両者の主人公像は、不連続性を有するとさえ言っていいかもわからない。

たとえば、初段の主人公の行動であるが、「女はらから」を「垣間見」の直後、「追いつきて」、すなわち間髪入れずに求婚する。しかも、「姉妹」への求婚であり、さらに、自身の「狩衣の裾」の「摺り衣」の模様に託した歌を詠む。こうした特別の人間にしか許されないであろう強引な求婚のかたちを、物語は、「いちはやきみやび」と評したのであった。

しかし、二段の主人公「まめ男」は、初段にみられるような、いわゆる古代の英雄の面影を見せる「いろごのみ」ぶりは語られない。「西の京の女」を「うち物語らひて」とあるのは、諸注、親しく話をするところまではいったが、結局は、男女の肉体関係を結ぶには至っていないとするのが一致するところである。朝方近くまでいるにはいたが、ついに一線を越えることはできなかった、とするのである。

こういう「まめ男」の行為を見ると、『伊勢物語』の影響を大きく深く受けた『源氏物語』の、同じく「まめ人」と評される「夕霧」と「薫」のケースを思い浮かべることができるが、おそらく、「まめ人」としての「夕霧」と「薫」の物語は、二段の「まめ男」の物語に影響を受けたものと思われる。この『源氏物語』にみられる二人の「まめ人」は、それまでの主人公である「光源氏」とはやはり一線を画していよう。すなわち、光源氏=「いろごのみ」と「夕霧」と「薫」=「まめ男」との違いと言っていい。このような「いろごまみ」と「まめ男」との対照性こそ、初段と二段との対照性ではなかったか。

このように考えるとき、はたして、二段の「かのまめ男」が初段を受けた語と断定することが妥当かどうかという思いも強くなる。あるいは、この章段の歌が在原業平であることを前提として叙述されているのであるから、この「かの」とは、「在原業平」を意識した結果の表現という解釈も生まれてくるのではないか。『伊勢物語』が『古今集』の「在原業平和歌」をすべて収録している事実からも明白なように、『伊勢物語』は、『古今集』を強く意識して成立している物語であるからだ。

―この稿続く―

 

2015.5.6 河地修

次へ
一覧へ

>