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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第40回
都への回帰―うた人たちの日常

 

かくして、「東下り・東国みちのく章段」は終わった。登場する主人公のすべてが、その土地で挫折したわけではないだろう。しかし、武蔵野で女を盗んで捕らえられた男(十二段)や、陸奥にまで流離し、結局は都へと帰っていった男たち(十四、十五段)には、その後どのような運命が待ち受けていたのであろうか。そのことは、おぼろけながらも、第八十一段の「かたゐ翁」の登場により、後半生の究極の没落ぶりが想像できるのであった。

ところで、「みちのく」での物語が終わり、次に位置する第十六段は、唐突に「昔、紀有常といふ人ありけり」と語り始める。

かつて「成長論」なる仮説が信じられていた頃、この十六段に「紀有常」という実名が出てくることで、この章段を後人の追補ということを主張する研究者がいた。それまでこのような冒頭の形式がなかったから、というのがその理由のようであったが、とにかく、なにがなんでも「成長論」に結びつけようとした結果と言っていい。

むろん、ここで「紀有常」という実名が冒頭に出てくる意味は問われなければならないが、この物語は、もともと多様なものを総体として取り上げようとする物語であることを忘れてはならない。この物語は、九世紀を生きた「うた人たちの物語」であるからだ。

 

『伊勢物語』の「十六段」は、紀有常の妻が出家するに当たって、有常は、その時の極端な困窮から餞別を贈ることができず、親友の友だち(業平)に援助を求めたという話である。物語は、その時の「友だち」との歌のやり取りを中心に語られるのだが、友だちである業平はむろんのこと、ここでは紀有常も、日常において「うた」を詠う「うた人」として登場している。業平と有常という、まさに「恋」の世界と「没落」の階層の代表が登場しているかのような印象を持つことができよう。そういう意味では、この第十六段は、前段まで展開した「東下り・東国みちのく章段」と、けっして断絶するものではないのである。

歴史上、紀有常が没落したという記録は、この『伊勢物語』「十六段」以外には明確には見当たらないということで、この章段を虚構とみる向きが多い。しかし、この有常について、次に掲げる系図を眺めるだけでも、おそらくは、ある時から、有常は間違いなく没落したに違いないと想像することが可能である。その「ある時」について、少しく精緻な考察を試みなければならない。

 

『伊勢物語』関係系図

『伊勢物語』関係系図

 

2017.5.22 河地修

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