河地修ホームページ Kawaji Osamu
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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第48回
うたびとたちの日常―男と女の贈答歌(1)

 

私が初めて学会で研究発表したのは、昭55年の春のことで、会場は学習院であった。その時の研究発表タイトルは、「伊勢物語・第十九段の生成をめぐって」であったが、当時は、成立論論議が盛んな時で、当然私も、この問題は避けて通れないものがあった。この時の発表では、十九段を中心とする前後三章段(十八・十九・二十段)の生成の過程を検証し、それが一回的に成立したものであることを論証したのであった。つまり、『伊勢物語』が、段階的な成長を繰り返したものではないという研究発表であった。これは、後に学会誌『中古文学』第26号に掲載された(『伊勢物語論集―成立論・作品論』(2003年、竹林舎)に収載)。

今思い起こすと懐かしいものがあるが、この時は、成長論批判に力点を置いたこともあって、これら三章段の作品論的考察がやや不足していたかもしれない。今回は、こうした観点から、あらためてこの三章段を取り上げ、補足的に考察してみたいと思う。

第十八段は、「なま心ある女」の近くに、主人公の「男」が住んでいたという話である。

昔、なま心ある女ありけり。男、近うありけり。女、歌よむ人なりければ、心見むと て、菊の花の移ろへるを折りて、男のもとへやる、

 くれなゐににほふはいづら白雪の枝もとををに降るかとも見ゆ

男、知らずよみによみける、

くれなゐににほふがうへの白菊は折りける人の袖かとも見ゆ

その女は、男が「歌よむ人」、すなわち「うたびと」であったので、その詠歌のほどを試そうとして、「菊の花の移ろへる折りて」歌を詠み贈ったという体のものである。

そして、女が「くれなゐににほふはいづら」と、菊の花に喩えて男の歌心を挑発したのに対して、男は、その挑発の意図を無視し、あえて「知らずよみ」に詠んだという話なのである。つまり、男は、ほとんどまともに相手にしなかったのである。当の女が「なま心ある女」だから、というのが理由のようである。

この「なま心ある女」であるが、「心あり」に「なま」が付いたものである。「なま」とは、若い、あるいは未熟というほどの意味であって、この女は、「うたびと」としてはまだまだ未熟ということなのである。そういう女が、しかし、積極果敢に「歌よむ人」である主人公に和歌を詠み挑んでいくのである。ここにも、九世紀の「うたびとたち」の日常が活写されているのである。

 

十八段に続く十九段はおもしろい。もともと『古今集』「巻十五」「恋五」に載せる贈答だが、『古今』の贈答は、業平と紀有常の女との夫婦間での贈答として載せられている。両者を並べて掲げてみよう。

 

〈古今集、恋五〉
業平朝臣、紀有常が女にすみけるを、恨むることありて、しばしのあひだ、昼は来て夕さりは帰りのみしければ、よみてつかはしける
天雲のよそにも人のなりゆくかさすがに目には見ゆるものから
返し                              業平朝臣
行き帰りそらにのみして経ることはわがゐる山の風早みなり

 

〈伊勢物語、第十九段〉
 昔、宮仕へしける女の方に、御達なりける人をあひ知りたりける、ほどもなく離れにけり。同じ所なれば、女の目には見ゆるものから、男はあるものかとも思ひたらず。女、
天雲のよそにも人のなりゆくかさすがに目には見ゆるものから
とよめりければ、男、返し
天雲のよそにのみして経ることはわがゐる山の風早みなり
とよめりけるは、また男ある人となむいひける。

 

見てわかるとおり、『古今集』「恋五」では業平と有常女の夫婦間での贈答としてあるものが、『伊勢物語』「十九段」では、同じ職場に宮仕えする男女間での贈答という物語になっているのである。

両者の関係については、資料としてある『古今集』に載せるものを『伊勢物語』が作り換えたとするのが一般的な見方である。石田穣二博士は、この作り換えの事情について、「作者は、この贈答の主が有常女と業平であることは承知していたであろう。作者は、それを、物語の上では意識的に消そうとしているようである。」と述べておられる『角川文庫『伊勢物語』補注』。

ということであれば、ここで問題は、作者はなぜこのような改変を行ったのかということになるであろう。いや、今、改変という言葉を用いたが、かつて、拙稿においても、この言葉を用いたのだが、作者の側に立って言うならば、実は、これは、改変ではなかった、ということになるのかもしれない。

 

2017.7.26 河地修

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