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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第56回
うたびとたちの日常―「川島の水の流れて」(22段)

 

『伊勢物語』22段は、前章段の21段と同様に、うた人たちの日常を語る章段である。この物語の章段構成によく見られる原理だが、章段前後に対照性を求めた配列展開となっている。21段は、「おのが世々」という歌語に象徴されるように、些細なことから別れた男女が、その後もお互いのことを忘れ兼ねつつも、しかし、結局は別々の人生(おのが世々)を選択してしまうというものであった。それに対する22段は、21段同様に和歌の贈答に即して物語が展開するが、物語の帰結はその逆のかたちとなっている。

昔、はかなくて絶えにける仲、なほや忘れざりけむ、女のもとより、

憂きながら 人をばえしも 忘れねば かつ恨みつつ なほぞ恋しき

と言へりければ、「さればよ」と言ひて、男、

あひ見ては 心ひとつを 川島の 水の流れて 絶えじとぞ思ふ

とは言ひけれど、その夜いにけり。いにしへ、行く先のことどもなど言ひて、

秋の夜の 千夜を一夜に なずらへて 八千夜し寝ばや 飽く時のあらむ

返し

秋の夜の 千夜を一夜に なせりとも ことば残りて 鶏や鳴きなむいにしへよりもあはれにてなむ通ひける。

(昔、何でもないことで別れてしまった仲であったが、それでもやはり忘れなかったのであろうか、女のところから、

つらいけれども、しかし、あなたのことをなかなか忘れられないので、一方であなたを恨みに思いながら、しかし、また一方では、やはりあなたのことが恋しい

と言ってきたので、「思った通りだ」と言って、男は、

お互いに愛し合って心を通わしてきた二人は、川島の左右に別れてもやがては一つになる川の流れのように、これから先いつまでも仲が絶えることがないようにと思います

とは詠み送ったけれども、そのままその夜、女のもとに出かけたのであった。

男は、昔のこと、これから先のことなどを話して、

長い秋の夜を千夜として、その千夜を一夜と考え、その一夜を八千夜重ねて共寝をしたとしても、私は満足することはできないでしょう

女の返歌、

長い秋の夜の千夜を仮に一夜にしたとしても、二人の間で交わす睦言は尽きることがなく、夜明けを告げる鶏が鳴くことでしょう

男は、昔よりも愛情こまやかに、女のもとに通ったのだった。)

22段の男と女は、前段21段の男女の関係とよく似ている。22段の場合、「はかなくて絶えにける」とあるので、何ということもないような理由で、二人は別れたのである。別れた理由としては、女が「いささかなることにつけて」出て行った21段とほとんど変わらないように思われるが、22段は、男が女のもとに通うという婚姻の形態(通い婚)であるから、女の生活力は、それなりに経済的な裏付けがあるものと思われる。つまり、男に依存することなく、女は生きてゆくことができるのであって、何が何でも男との婚姻関係を維持しなければならないということもないのである。

従って、二人の仲が「絶え」たのは、あるいは、単純に男の通いが途絶えただけのことかも知れない。むろん、その理由としては、いろいろ考えられるが、一般的には、この女以外のところに通い所が出来た(女からすれば男の浮気である)と考えるのが分かりやすい。女の歌に、「憂きながら」や「かつ恨みつつ」という表現が見られることからも、そういう事情が推測できるであろう。

さて、22段の場合は、21段とは違って、男と女とが、結局は「元の鞘に収まる」という話である。その過程での男女の贈答が紹介されるのは両章段とも共通のものがあるが、別れた男女が、その後再び仲を取り戻し、以前にも増して愛し合うようになるという話は世間でもよくある。そういう意味では、別に何ということもない話だ、と言えば、まさにそうなのであるが、この場合は、そういう男女の愛の復活が、和歌のやり取りで可能になったということであろう。そして、この章段に描かれる物語の鍵となる歌語が、男の歌の「川島」なのであった。

「川島(かはしま)」とは、川の中ほどにできた島のことで、現実問題として、どこにでもある風景の一つと言っていい。しかし、この語が和歌で詠われるようになったのは、「かはしま」という音から「交(か)はす」という語の連想であった。つまり、「心ひとつをかはしまの」と詠った場合、心ひとつを交わす、という意味がもたらされるのである。

しかし、この歌の場合、「交わす」ということだけではなく「心ひとつを川島の」に続いて「水の流れて絶えじとぞ思ふ」と詠ったところが注目されるのである。つまり、契沖『勢語臆断』が、「中島ある河水は別れてまた末あふなる」と言うように、男女が一度別れはしたものの、「川島」を廻る川の流れが再び廻り合うのように、二人は再び愛を交わして元のように愛し合うという構図を示したのである。そして、男は、歌を送るだけでは我慢ができず、その夜、そのまま女のもとを訪れたのであった。

このように、物語作者は、歌語「川島」のもう一つの特性に注目し、それを発展的に活かしつつ、別れてもまた、最後にその愛情を取り戻すことがあるという男女の日常の姿を、うた人たちの贈答歌で造型して見せたと言うことができよう。前段の21段との対照を求めて制作されたことは、明らかだとしなくてはならない。

 

2017.10.7 河地修

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