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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第58回
「筒井筒」章段考補遺(二)

 

飯を盛る女

高安の女は、当初は「心にく」をつくって「飯を盛る」ことはしなかった。しかし、「今はうちとけて」とあるから、つい油断をしてしまい、いわゆる地が出てしまったのであろう。よくあること―、と言えばそうであろうが、しかし、ここで問題としなければならないのは、「大和」の男は、なぜ高安の女の「飯を盛る」行為を見て「心憂し」という心情になったのか、ということでなくてはなるまい。さらに言えば、この「飯を盛る」行為は、当の高安の女でさえ、最初は注意してその行為は行わなかった、というのであるから、高安の女もまた、これを忌避すべき行為であるということを認識していたのである。

このことは、現代社会に生きる我々からすれば、ピンとこないことではあるが、実は、古代前期の「貴族」という視点から考えれば、意外とわかりやすいことではある。すなわち、「飯を盛る行為」=「給仕」は、貴人に仕える使用人の行為だったからである。

たとえば、長大な貴族の生活を描く『源氏物語』には、具体的な調理や配膳といった場面がないことに気付かされるが、これは、物語の表面に登場する主人公たち(上流貴族)が、まったくそのような行為を行わないからなのである。従って、『源氏物語』には、『伊勢物語』「23段」にある「飯を盛る」行為がまず描かれないのは当然と言えよう。

ところが、『伊勢物語』には、この23段以外にも、女が「飯を盛る」場面が描かれる章段がある。次に「第62段」を掲げてみよう。

昔、年ごろおとづれざりける女、心かしこくやあらざりけむ、はかなき人の言につきて、人の国なりける人に使はれて、もと見し人の前にいで来て、もの食はせなどしけり。 夜さり、「このありつる人たまへ」と、あるじに言ひければ、おこせたりけり。男、「われをば知らずや」とて、

いにしへの にほひはいづら 桜花 こけるからとも なりにけるかな

と言ふを、いと恥づかしと思ひて、いらへもせでゐたるを、「などいらへもせぬ」と言へば、「涙のこぼるるに、目も見えず、ものも言はれず」と言ふ。

これやこの われにあふみを のがれつつ 年月経れど まさり顔なき

と言ひて、衣脱ぎて取らせけれど、捨てて逃げにけり。いづちいぬらむとも知らず。

(昔、男が何年も訪れなかった女は、しっかりした分別もなかったのであろうか、いい加減な男の甘言に乗せられ、地方に住んでいた人に使われて、元の夫の前に出て来て、食事の給仕などをしたのだった。夜になって、男が、「先ほどの女を夜伽によこしてください」と、主人に言ったので、寄こしたのだった。男は、「自分を見忘れたか」と言って

昔のはなやかな美しさはどこに行ったのだ、まるで、桜の花が散り失せてしまってごつごつしごいた幹だけのような有り様だな

と言うが、女は、とても恥ずかしいと思って、返事もしないでいたところ、男は、「どうして返事もしないのだ」と言うと、女は、「涙がこぼれるので、目も見えない、物も言えない」と言う。

これがまあ、あのお前なのか、自分と夫婦の縁を切って逃れながら、年月が経ったけれども、少しも誇り高い顔つきではないことだ)

と言って、男は、自分の着物を脱いで褒美として与えたけれども、女はそれを棄てて逃げて行ってしまった。どこに行ったのかも分からない

この62段は、男が長く通って来なかったことから、別の男の誘惑に簡単に乗ってしまい、しかし、女は地方で使用人に転落してしまったという物語である。少し前の60段の話も、62段と似た構造を持つが、こちらは、地方の役人の妻に収まっている。ただし、どちらの話も、そこへ元の夫(男)が偶然訪ねて再会するという設定は同じものがある。いずれにせよ、これは、『伊勢物語』に取り上げられる男女は、貴族社会の底辺に生きる人間たちが多いということを物語るものと言えるのである。

このことは、この物語に登場する男女の多くが、弱小貴族、もしくは没落貴族であるとする所以でもあるが、62段の女について注目すべきは、「人の国なりける人に使はれて、もと見し人の前にいで来て、もの食はせなどしけり」とあるように、この女が「人に使はれて」、「もの食はせ」という「給仕」の仕事に従事しているということであろう。そして、さらに驚くべきことは、「夜さり」―夜になって、ごく自然の流れで、男に対する「夜の伽」としての奉仕を行うということであろう。おそらくは、客人であった「もと見し人」への「給仕」は、そのまま「夜の伽」へと直結する仕事ではなかったかと推測される。

こういった「給仕」―「飯を盛る」行為が、暗黙の了解のもと、そういう性質を有するものであるならば、おのずと、23段の「高安の郡の女」も、その「飯を盛る」行為が身についている以上、彼女の本来の階層も、実は、そういう出自ではなかったかと思われるのである。

23段の「大和人」からすれば、そういう出自が疑われる「河内国高安郡の女」との婚姻は、自らのその階層への転落を意味することだったのである。

しかし、辛うじて、この大和人は、そういう階層への転落を踏みとどまった、としなくてはなるまい。没落貴族ではあるが、しかし、だからこそ、本来の貴族としての誇りとその精神を忘れまいとする姿勢の表れと言うべきであろう。

 

2017.11.05 河地修

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