河地修ホームページ Kawaji Osamu
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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第79回
「天の下の色好み」―第39段の諸問題(二)

 

贈答の解釈―「年経ぬるかと泣く声を聞け」

「39段」の贈答は難解とされているが、しかし、その解釈の要は、淳和帝の祟子内親王が、19歳という若さで亡くなった、その葬送の場で詠われているということであろう。葬送を物見の対象とする登場人物たちの姿勢の是非はともかくとして、この葬送の本旨(本意)とは、若すぎる年齢で世を去った祟子内親王の薨去を嘆くということでなければならない。

この39段に登場する「女車にあひ乗り」て出掛ける男女の行動には、哀悼の意を表するというよりも、内親王の葬送そのものを見物しようとする「物見」めいた気持ちが強かったように思われる。そして、その葬送の現場で女車を見つけ、車内の女に盛んに「なまめく」とともに、突然車内に「螢」を放って、その灯りで女の姿態を見ようとする源至の行動も、不謹慎と言えば不謹慎であろう。しかし、彼らの行動の建前ともいうべきあり方は、あくまでも、祟子内親王への哀悼ということでなければならない。

まず、螢を放たれた「女車」側の歌である。この歌の詠者は「女車」に相乗りをした男の詠歌ととらなければならない。むろん、紙に書いて出したものではなく、文字通りの詠歌であるから、源至には、その時点でこの女車には男女が乗っていることがわかったはずである。つまり、この贈答は、女車に同乗している「男」と「源至」とのやり取りということになる。この同乗している男が業平かどうかはわからないが、業平であれ誰であれ、葬送の場をひそやかな男女の交遊の場とするのは、紛れもなく「色好み」の人物としなくてはなるまい。

さて、その業平らしき男の歌である。「天の下の色好み」と謳われる源至が、こともあろうに葬送を見送る女車の中に螢を放つという行為(これも「色好み」の行為である)に及んだことを承け、車の男がそれを制止するために詠ったのである。

出でていなば 限りなるべみ 灯し消ち 年経ぬるかと 泣く声を聞け

(葬列が出て行ってしまったならば、もうそれが内親王との最後の別れであろうから、螢の灯りを消して、宮様の生涯はどれほどの年月であったのかと泣く私たちの悲しい声をお聞きなさい)

この歌で見解が分かれるところは、4句目の「年経ぬるかと」の解釈であろうが、しかし、ここは祟子内親王が若くしてこの世を去ったということを前提にしていると思われる。そもそも淳和帝の後半生に生を享けた内親王にとって、その皇女としての人生の行末には厳しいものがある。であるからこそ淳和帝は、橘氏の宮女を母とする祟子に内親王という地位を保証したものと思われる。その祟子内親王が、天寿を全うするなど程遠い19歳で、その短い生涯を閉じたのであった。従って、この時の葬送の主旨こそ「年経ぬるかと泣く声を聞け」という参列者たちの慨嘆でなければならなかったのである。

さて、至の返歌である。当然のことながら、至の返歌も、その主旨から外れてはならないのである。

いとあはれ 泣くぞ聞こゆる 灯し消ち 消ゆるものとも 我は知らずな

(なんと悲しいことでありましょうか、悲しみに泣いておられる声が聞こえてきます。しかし、螢の灯りを消したとしても、その悲しみの声までもが消えるとは思われません)

この贈答を注意深く分析するならば、贈歌の「灯し消ち」がそのまま返歌にも使用されていることがわかるであろう。しかも、贈答ともに「第三句」ということで共通している。これは、至が、業平らしき男の贈歌をそのまま踏まえつつ返歌を行っているのである。至としては、切り返しの妙を狙ったのである。むろん、その切り返しは、業平らしき男の贈歌への「反論」でなければならなかった。

至は、螢の「灯し」を入れないでほしいと詠う男に、それはできないと答えたのである。男が「灯し」を消して「泣く声を聞け」と言うのに対して、「泣く声」は聞こえているから、「灯し」は消す必要がないではないかと、その言葉尻をとらえて反論したのである。すなわち、第四句目の「消ゆる」は、「灯し」を「消」しても「年経ぬるかと泣く声」は「消ゆる」ものではないという洒落心の発露と言うべきものであった。

しかし、この至の返歌に対して、物語の語り手は、「天の下の色好み」の歌としては、「なほ」(平凡)であった、と厳しい評価を下したのである。

 

2018.8.18 河地修

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