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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第84回
命を懸けた恋―「若き男」の「好けるもの思ひ」(40段)

 

「若き男」と「けしうはあらぬ女」

中古語の「色好み」(いろごのみ)は、漢語の「好色」の訓読みから派生したものと思われるが、「色」および「好む」という言葉は、単独としては上代から用いられている。もともと「色」は、美しいものや異性を指し、あるいは、性愛に関わることなどでも用いられてきた。そのため、「色」を「好む」という語句が「異性に夢中になる」ということで使われることにもなったのであろう。

同じ中古語で「夢中になる」という意味を持つものに、「好(す)く」という言葉がある。現代にもそのまま受け継がれている言葉であるが、『日本国語大辞典』は、「好む」が漢文訓読体で用いられるのに対し、「好く」は和文体で用いられるとの解説を示している。確かにそういう傾向は確認できるので、「好く」は大和言葉であろうと思われるが、しかし、現存の上代文献には表れない。具体的に言えば、『萬葉集』には見られないので、あるいは、口語としてしか使われなかったのかもしれない。

実は、「好く」の初出文献は『伊勢物語』である。「40段」に「すけるもの思ひ」というかたちで用いられている。39段の「天の下の色好み」の話に連鎖して置かれていると思われるので、「色好み」との関連で考察してみたい。次に本文を掲げる。

 

昔、若き男、けしうはあらぬ女を思ひけり。さかしらする親ありて、思ひもぞつくとて、この女をほかへ追ひやらむとす。さこそいへ、まだ追ひやらず。人の子なれば、まだ心いきほひなかりければ、とどむるいきほひなし。女もいやしければ、すまふ力なし。さるあひだに、思ひはいやまさりにまさる。にはかに、親、この女を追ひうつ。男、血の涙を流せども、とどむるよしなし。率て出でていぬ。男、泣く泣くよめる、

出でていなば 誰れか別れの かたからむ ありしにまさる 今日はかなしも

と詠みて、絶え入りにけり。親、あわてにけり。なほ思ひてこそ言ひしか、いとかくしもあらじ、と思ふに、真実(しんじち)に絶え入りにければ、まどひて願立てけり。今日の入相(いりあひ)ばかりに絶え入りて、またの日の戌(いぬ)の時ばかりになむ、からうして生きいでたりける。

昔の若人(わかうど)は、さる好けるもの思ひをなむしける。今の翁、まさにしなむや。

(昔、齢の若い男が、(その家の下女で)悪くはない女を愛したのだった。お節介をする親がいて、真剣に愛し合ってはいけないということで、この女を別のところへ追いやろうとした。そうはいうものの、親はまだ追いやらなかったのだった。男は、まだ自立できない分際だったので、親に対抗するだけの気力もなかったので、親の行いを制止することもできなかった。女も身分が低かったので、男の親の方針に抵抗することもできなかった。そうこうする間に、男の女への愛情はますます激しく燃え上がる。その時のこと、親は、突然女を追放した。男は、血のような悲しみの涙を流すけれども、それを制止する手段はない。女は、家から連れられて出て行ってしまったのであった。男は、泣く泣く、次の歌を詠んだ、

あの人が自分から出て行ってしまったのであれば、どうして別れが難しいことがあろうか、それなら諦めるしかないだろうが、しかし、あの人は強引に連れて行かれたのだ、私たちは同じ思いなのだ、このように無理矢理仲を裂かれて、今までよりももっと悲しみが深い今日のこの日であることよ)

と詠んで、気絶してしまったのであった。 

親は慌てたのであった。それでもやはり、子供のことを思ってこそ言ったのだが、まさかこれほどまでではあるまいと思ったのだが、男は、本当に意識がなくなってしまったので、親は気も動転して社寺に願立てを行ったのだった。男は、その日の夕刻の時分に気を失って、翌日の戌の刻(現在の午後八時)の頃に、ようやく意識を取り戻したのであった。

昔の若者は、このような命懸けの恋をしたのだ。最近の翁のような若者は、本当にするだろうか、やりはしないよ。)

 

一読してわかるように、主人公は、「若き男」である。しかも、「人の子なれば、まだ心いきほひなかりければ」と言われるような、親掛かりの身の上で、気も弱い主人公と言うのである。

当時の貴族社会は、基本的に年功序列であって、年齢の若い男は、なかなか官職にも付くことができず、単独での生活力は乏しいものがあった。若くても自由奔放に振る舞うことができるのは、権門勢家の御曹司か、もしくは、有力貴族の親の資産を相続した一部の貴公子などであった。たとえば在原業平などは、父の阿保親王から、そして母の伊都内親王からも、それぞれ豊富な資産を相続したが、このことは、今は措く。40段の「若き男」は、そういう環境にはなかった、ということなのである。

この40段の主人公が所属する家は、それほど社会的に地位が高いとは思われない。すでに、初段以降指摘してきているように、この物語の主な登場人物は、零落した没落貴族が多数を占めている。この章段のような「無名の」登場人物は、たとえば、『古今和歌集』で言えば、「詠み人知らず」に相当するのであって、「上(かみ)・中(なか)・下(しも)」の序列構成で言うならば、「中の品(なかのしな)」でもその下層階級か、もしくは、そこからもさらに下る階層と見ていいだろう(建長3年(1251)成立の『続後撰和歌集』には、この歌を「業平」の歌として収録しているが、これは『伊勢物語』からの採歌である)。

この章段の眼目は、この男が、「けしうはあらぬ女」を「好」きになった、ということであろう。「けしうはあらぬ」の「け」とは、「怪(け)」ということで、「怪」とは、簡単に言えば、「悪い」「怪しい」というほどの意だから、直訳すれば、悪くはない、ということで、いわば、消極的評価の語句ということになろう。男の父親が、「思ひもぞつく」ということで、この家から追い出そうとする「女」は、むろん、「いやし」と言われる「女」なのである。

この「怪(け)しうはあらぬ女」については、諸注、この家の「ぬひ(奴卑)」とする見解で、ほぼ定まっているようである。「奴卑」という見解は、本文中の「追ひやる」や「いやし」という言葉から導き出されたものであろうか。間違いと言うつもりはないが、平安時代の「奴卑」とは、正確に言えば、令制に定める「奴卑」になるのであって、極端な言い方をすれば、人格も認められないような「賤民」を指すのである。

この章段において、「令」で定められたところの奴卑を追放するというのは、当時の社会的観点からして、現実的な理解であるとは思われず、さらに言えば、いくら「若き男」の「好けるもの思ひ」とはいえ、恋の相手を「奴卑」とするのは、この時代、あり得ないのではなかろうか。ここでは、この家に仕える「下女」とする程度でよかろうと思われる。

「下女」とは、私的にこの家に奉公する下仕えの女のことである。中には、きれいな女もいたことであろう。「けしうはあらぬ女」と評される所以であって、この女を、「若き男」が「好き」になった、ということなのである。中流か下流の貴族の家での、身分違いの恋、ということに他ならない。

―この稿続く―

 

2019.12.8 河地修

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