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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



『古今和歌集』を考える

『古今和歌集』のメッセージ(十三)

 

連鎖と連想―独立する和歌が繋がってゆく

「四季」の配列原理が、時間の推移にあることはすでに何度も述べている。ただし、「歌群」としてまとめられている和歌間においては、時間の推移は示すことができない。では、歌群が置かれた場合、その中は適当に和歌が配列されているのか、と言えば、そうではない。和歌一首一首の配列には、多様な連鎖と連想による配列の原理が働いているのである。

わかりやすく言えば、当該歌は前歌を承け、そして次歌に繋がってゆく。その繋がり方は、基本的に「言葉」によっている。同一同種の言葉、もしくは類縁の歌語を連ねることで、とにかく、次の歌へと繋げてゆくのである。

たとえば、「巻一」「春上」の18番歌から22番歌を見てみよう。いわゆる「若菜歌群」と呼ばれる計5首からなるグループだが、これらは、一首毎に季節の推移が見られるわけではない。まさに、前歌から次歌へと、「言葉」が連鎖してゆくのである。以下、和歌のみを平仮名表記と漢字仮名交じり表記とで並べてみよう。

 

18、かすかのの とふひののもり いててみよ いまいくかありて わかなつみてむ

(春日野の 飛ぶ火の野守 出でて見よ 今幾かありて 若菜摘みてむ)

19、みやまには まつのゆきたに きえなくに みやこはのへの わかなつみけり

(深山には 松の雪だに 消えなくに 都は野辺の 若菜摘みけり)  

20、あつさゆみ おしてはるさめ けふふりぬ あすさへふらは わかなつみてむ

(梓弓 おして春雨 今日降りぬ 明日さへ降らば 若菜摘みてむ)

21、きみかため はるののにいてて わかなつむ わかころもてに ゆきはふりつつ

(君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ)

22、かすかのの わかなつみにや しろたへの そてふりはへて ひとのゆくらむ

(春日野の 若菜摘みにや 白妙の 袖振りはへて 人の行くらむ)

 

見てわかるように、これらの歌群は、すべて「わかな(若菜)」という歌語を有している。それではそれぞれ一首の位置はどこでもいいのかというと、そうではないのである。たとえば、18番歌の「とふひ(飛ぶ火)」との類縁で19番歌は「きえなくに(消えなくに)」という語句(消ゆ)が、つまり「火」と「消ゆ」の縁で響いている。さらに言えば、18番歌「わかなつみてむ(若菜摘みてむ)」と19番歌の「わかなつみけり(若菜摘みけり)」とが「若菜摘む」という表現で繋がっていることは言うまでもあるまい。そして、この表現は、20番歌の「わかなつみてむ(若菜摘みてむ)」にも繋がっているのである。その20番歌では、「はるさめけふふりぬ(春雨今日降りぬ)」とあるが、21番歌の「ゆきはふりつつ(雪は降りつつ)」と類縁関係(雨降る―雪降る)にあるのは指摘するまでもない。

そして、この「若菜歌群」の最後の和歌、22番歌の「かすかの(春日野)」は、前歌の「はるのの(春の野)」を連想として承けた語であるし、「そてふりはへて」の「ふり(振り)」は、前歌「ゆきはふりつつ」の「ふり(降り)」と、同音異義の関係にあることがわかるであろう。こういった同音異義の関係こそ、『古今和歌集』で確立したところの「掛詞」の表現技法なのであった。

つまり、『古今和歌集』では、単独の一首において出現しつつあった「掛詞」「縁語」の修辞が、連接する和歌間においても確認することができるのである。

その事例を、もう一箇所指摘しておこう。それは、「春上」の27番歌と28番歌との連鎖である。先程の例に倣って、和歌のみを平仮名表記と漢字仮名交じり表記とで並べてみよう。

 

28、あさみとり いとよりかけて しらつゆを たまにもぬける はるのやなきか

(浅緑 糸よりかけて 白露を 玉にもぬける 春の柳か)

29、ももちとり さへつるはるは ものことに あらたまれとも われそふりゆく

(百千鳥 さへづる春は ものごとに あらたまれども 我ぞふりゆく)

 

28番歌「あさみどり~」は、その詞書に「西大寺のほとりの柳を詠める」とあるように、「柳」を詠じたものである。つまり、前歌の27番歌「青柳の糸よりかくる春しもぞ乱れて花のほころびにれる」を承けているのであって、両歌とも、春の「柳」をモチーフとする点で共通している。そして「糸よりかく」という表現が続くことで、明確に連鎖していることが分かるのである。

それでは、「春の柳」を詠じた28番歌と次の「百千鳥~」の29番歌とは、どのような連鎖があるのであろうか。28番歌(百千鳥)からは、29番歌(呼子鳥)、30番歌(帰雁)、31番歌(帰雁)、32番(鶯)と、5首全体がまとまって「鳥歌群」を形成しているのが分かるであろう。

ということは、この「柳」(27番歌)と「鳥」(28番歌)をモチーフとした二首とは、いったい何によって繋がってゆくのか、ということなのである。むろん、両歌とも「春」という語があるので、まったく連鎖性がないわけではないが、実は、よくみると、この二首の間には「掛詞」とみるべき同音異義の修辞が成立しているのである。

それは、初句の「あさみとり」と「ももちとり」である。漢字仮名交じりの表記で読む習性が出来上がっている現代人にはなかなか見つけにくいが、仮名表記にすれば意外とよくわかるのである。「浅緑」(あさみとり)と「百千鳥」(ももちとり)のそれぞれの「とり」が同音異義の関係にあることが分かるであろう。そして、さらに同じ関係を指摘することができるのは、それぞれの第4句である。28番歌の「しらたま」(白玉)と29番歌の「あらたまれとも」の「たま」とが、同音異義の掛詞の関係にあるのである。

このように、和歌相互に明確な連鎖と連想の関係が見て取れる以上、我々は、少なくとも、『古今和歌集』における和歌は、なんらかの配列原理によってその位置が決められているのではないかという前提で、読んでゆかねばなるまい。


 

2022.7.30 河地修

この稿続く
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