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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-源氏物語講話-

第43回
紫式部の「清少納言批判」(一)―「夕顔」巻の創造(二)


五条大路に咲く「白き花」

巻名となった「夕顔」が紹介されるのは、光源氏が、病気のために出家した「大弐の乳母」(惟光の母で源氏の乳母)を見舞おうと、「五条なる家」を訪れた夕暮れ時のことである。巻頭の一文に続いている場面で、源氏は、「六条わたり」の女君を訪問する際の「中宿(なかやどり)」に、という気持もあったのである。

ところが、「大弐の乳母」が滞在する「五条なる家」は、普段源氏のような高貴な身分の人物が来ることがなく、車を引き入れる正門は閉じられていた。その鍵がなかなか見つからないということで、源氏は、乗車したまま、しばらく五条大路に待機することになったのである。

源氏ほどの身分の者は、まず五条大路のあたりを目的としてやって来ることはない。あくまでも、たとえば「六条わたり」の女君のところへ通う際の通過点(源氏がそこに通う問題は別として)ということであって、しかも、その時間帯は夜間か早朝であった。したがって、この時の待機は、若い源氏に、ある意味で新鮮な驚きをもたらしたのである。このあたりの話の進め方は、「帚木」巻での、源氏と空蟬との邂逅に至るまでの事の運びに共通するものがあって、作者は、現実離れしたお伽話のような恋をいきなり安直に語ろうとはしない。

五条界隈に興味を持った若い源氏は、「誰とか知らむとうちとけたまひて」―自分が誰であるかは分からないであろうと油断なさって、「少しさしのぞきたまへば」―少し顔をお覗かせになって、と描写されるが、それは、源氏が身を置く上流社会と五条界隈とが、ほとんど隔絶するものであることを物語ってもいる。つまり、世界が違うのである。そういう源氏の眼に入ったのが隣家の「ものはかなき住ひ」(ささやかな住い)であり、また、その家の粗末な板塀の蔓草に咲く「白き花」なのであった。

この「白き花」が「夕顔」なのだが、源氏は、この花の名を知らなかった。そこで、源氏は、独り言のように『古今和歌集』「巻十九」「雑体」に載せる旋頭歌の一節「遠方人(をちかたびと)にもの申す」を口ずさんで、その花の名を尋ねたのである。

うちわたす遠方人に物申す我そのそこに白く咲けるは何の花ぞも

(見渡される遠くにいるお方にお尋ねしたい私なのだが、その、そこに白く咲いているのは、何の花であろうか)

(『古今和歌集』「巻十九」「雑体」題知らず、詠み人知らず)

源氏は、この旋頭歌の下句「そのそこに白く咲けるは何の花ぞも」と言うところを、あえて上句の「遠方人に物申す」を引用し呟いたのであった。その意図を知る人物が傍にいることが前提でなければならないが、その役目を見事に果たしたのが光源氏付きの「御随身」なのであった。

「御随身」とは、勅命により、皇族や上流貴族の外出時に身辺を護衛する近衛府の武官だが、近衛の中将である源氏は、そのひととなりをよく知っていたものと思われる。つまり、このような洗練されたやり取りが可能な「御随身」なのであって、だからこそ、源氏の身辺にも仕え、また、次にあるようなこの花の説明も行うことができたのである。

かの白く咲けるをなむ夕顔と申しはべる。花の名は人めきて、かうあやしき垣根になむ、咲きはべりける

(あの白く咲いている花を、夕顔と申します。花の名は、人のようで、このようなみすぼらしい垣根に咲くのでございます)

この随身の言葉は、端的に言えば、「夕顔」の花を知らなかった源氏への、ある意味ではlectureと言っていい。花の名を告げるだけなら、一言「夕顔」とだけ言えば済む話なのだが、作者は、あえて、この説明の言葉を随身に言わせたのである。


「夕顔」は「あやしき垣根」に咲く

この随身の言葉で注意したいところは、「夕顔」は、その「名」は「人めきて」いるものの、「あやしき垣根」に咲く花である、と言っているところである。「あやし」とは、普通とは違って奇異と感じるところから発している。これは、たとえば、貴族階層から見て、卑賎な階層などの理解しがたいものに反応する感情でもあって、「賤し(いやし)」などとほぼ同義の語彙と言っていい。ここには、格差の概念が強く示されていよう。「夕顔」は、その名こそ「人めき」て、という印象だが、源氏のような高貴な身分階層とは隔絶するところに存在する花ということなのである。

もともと「夕顔(ユーガオ)」は、干瓢などにし、その実を食するものとして栽培されたもので、花は注目されるものではなかった。そのことは、たとえば、『萬葉集』や『古今和歌集』に全く採歌されていないことからもわかることで、つまりは、光源氏が所属する「上の品」の世界とは無縁のものなのであった。紫式部は、この「花の名」を、あえて巻名に用いたのである。

ただし、この「夕顔」に注目し、日本文芸史上、初めてそこに取り上げたのは清少納言であった。

この稿続く

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