河地修ホームページ Kawaji Osamu
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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第8回
『伊勢物語』の成立を考える(三)
『古今集』との先後関係について―

『古今集』の中に在原業平の歌があることによって、『伊勢物語』は『古今集』の前に成立していた、というような考え方があるとすれば、そのような考え方は間違っている。確かに、業平の歌は合計30首『古今集』に収載されている。そうであるならば、『古今集』は、その30首について、在原業平に関わる何らかの原資料から収録したことは間違いのないところである。しかし、その「何らかの原資料」を『伊勢物語』と考えることは間違っているのである。

『古今集』の「真名序」に記してあるのだが、『古今集』が資料としたものは、「各家集」と「古来旧歌」であって、けっして、その中に『伊勢物語』など入ってはいない。業平の和歌のほとんどに詳細な詞書があり、それがいかにも「物語的だ」ということで、その原資料が『伊勢物語』である、などと言うことは、繰り返すが、間違っている。

『古今集』中の業平歌、及びその詞書は、確かに物語的であると言えるかもしれないが、むしろ、そのことが、業平に関する「はなし」の本格的な物語化を可能 にした、と考えるべきだろう。西暦880(元慶4)年に没した業平について、彼の和歌やその和歌成立の事情について、やがて仮名の隆盛の時代を迎えることから、そのまま「家集」の中に収められたであろうことは容易に想像できることなのである。

『古今集』にある「業平歌」30首は、すべて漏れることなく、『伊勢物語』の中に存在している。これは作為としか考えられないことであって、よく考えれ ば、このことは、『伊勢物語』の成立が『古今集』の成立よりも後の時点であることを物語るものである。すなわち『古今集』の「業平歌」30首を核として、『伊勢物語』は制作されたのである。たとえば、『後撰集』にあるすべての業平歌が『伊勢物語』にあるわけではないが、これは、『伊勢物語』成立後に『後撰集』が成立したからであって、その撰集時に、『伊勢物語』ではない別の資料から収録されたものであることを物語るものである。

そして、『伊勢物語』と『古今集』との先後関係を考える時、さらに有力な手掛かりを与えてくれるのが第25段である。次に掲げてみよう。

むかし、男ありけり。あはじとも言はざりける女の、さすがなりけるがもとに、言ひやりける、
秋の野に笹分けし朝の袖よりも
あはで寝る夜ぞひちまさりける
色好みなる女、返し、
みるめなきわが身を浦と知らねばや
離れなで海人の足たゆく来る

「昔、男」が、はっきりと拒絶するわけではないが、しかし、なかなか逢ってはくれない女に歌を贈ったところ、「色好みなる女」が辛辣な歌を返した、というほどの物語なのだが、この男女の贈答の出典が『古今集』なのである。しかし、『古今集』ではそれらの歌は、贈答としてあるわけではない。『古今集』「巻十 三」「恋三」に、国歌大観番号622、623として並んで収載されている在原業平と小野小町の、それぞれ独立する「題知らず」の歌なのである。

この『伊勢物語』「25段」と『古今集』との関係は興味深い。「25段」から「28段」の計4章段は、すべて「水」に関する縁語関係の和歌を配するという点で、『古今集』の配列原理と共通するものがあるが、その最初と最後の「25段」と「28段」とが「色好み」の女なのである。作者の意識的な編集意図というものを思わないわけにはいかないが、その「色好み」の女の典型として、『古今集』で造型された「小野小町」のイメージを用いたものと思われる。『伊勢物語』は、『古今集』という作品、もしくはその存在を積極的に内部に取り込むことで、その作品形成がなされているのだが、このことは、後日、詳細に論じるこ とになるだろう。

25段と『古今集』との先後関係について、かつて石田穣二博士は、角川文庫の補注で次のように述べられた。今はこのことを記すに留める。

『古今集』との関係については古くから注目されており、諸説があるが、『古今集』に並記されている業平と小町の歌に拠って、これを贈答に仕立てたものとす る見方は、動かしがたい。本段は、初冠本の成立が『古今集』の成立より遅れることを示すほとんど決定的な材料といってよい。

2010.5.9 河地修

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