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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第13回
『伊勢物語』作品論のために(二)
『源氏物語』「若紫」巻と『伊勢物語』「初段」―

これまでの回で、『源氏物語』「絵合」巻において、『伊勢物語』が古典として認識されているということを述べたが、実は、「若紫」巻の創作事情の考察からも、そういったことがうかがえるのである。

 

『源氏物語』が実際にどの巻から執筆されたのか、という議論がある。現存の『源氏物語』の構造から言えば、「桐壺」巻からということになるのだが、『紫式部日記』の寛弘5年(1008)11月1日のくだりにある藤原公任の言葉、「あなかしこ、このわたりに、若紫やさぶらふ」とある記事などから、この時点では、「若紫」巻のみが成立流布していたのではないかという見方もあるのである。故石田穣二博士も、当初は「若紫」巻が成立して、その後、新たに長編的構想のもとに「桐壺」巻から執筆されたものではないかと推測されていた。だが、今問題とすべきは、この「若紫」巻の創造の原点に、『伊勢物語』の「初段」があるということである。
巻名の「若紫」という語に注目してみよう。「若紫」とは、今でこそ、『源氏物語』のおかげでずいぶんと耳慣れた言葉となったが、当時の文献からはなかなか見つけることが困難な稀少語なのである。

この語の初出は『伊勢物語』の「初段」である。すなわち、「春日野の若紫の摺り衣しのぶの乱れかぎり知られず」という和歌である。おそらく、『源氏物語』の創始当時、読者は、巻名の「若紫」から『伊勢物語』「初段」の当該歌を想起したものと思われる。あるいは、別の言い方をすれば、想起することを、作者は求めたものと思われる。

 

あらためて言うまでもないことだが、『伊勢物語』の「初段」は、この物語の発端に位置する物語である。その物語世界は、主人公の「昔、男」が歳若くして元服し(初冠)、すでに当時廃都(ふるさと)であった「奈良の京」に鷹狩に行くというものであった。そして、その地で、思いがけなく「いとなまめいたる女はらから」を垣間見した男は、早速に「春日野の若紫の摺り衣しのぶの乱れ限り知られず」という歌を送って、求愛(求婚)をしたのであった。物語の語り手は、これら一連の主人公の行為について、「昔人はかくいちはやきみやびをなむしける」と評価するのである。

 

以下のことは、すでに、故玉上琢哉博士が『源氏物語評釈』(角川書店、昭和40年)において指摘されていることであるが、「初段」の物語世界と「若紫」巻の物語世界を比較してみよう。まず物語の構造が対応していることに気付くであろう。

「初段」の物語の舞台が南都の奈良であることに対して、「若紫」巻は、都の北郊の北山である。「初段」の季節が早春で、「若紫」巻は晩春。双方ともに「垣間見」の場面を持つことが共通するが、「初段」はその対象が「いとなまめいたる女はらから」と表現される姉妹に対して、「若紫」巻は、紫の上とその祖母である尼君の二人。そして、何よりも、驚くべきことに、双方ともに、垣間見の直後に求愛という行動に及んでいるのである。
このような対応の構造は、その巻名と同様、源氏の作者が、積極的に「若紫」巻と『伊勢物語』「初段」との比較対照を求めた結果、と言っていいだろう。つまり、その物語世界は、『伊勢物語』「初段」の翻案として創作されたものでもあるのだ。具体的に言うならば、「初段」の「いちはやきみやび」と称される「昔男」の行動と「若紫」巻で描かれる光源氏の行動との比較対照、あるいは、光源氏の行動が「いちはやきみやび」の行動であるという評価が、そこにはあると言えるのである。このことは、「いちはやきみやび」とは何であるのか、という本質的な解析が、当然、求められなければならないのだが、それは、やがて本篇でなされることとなろう。

ともかく、源氏の作者は、『伊勢物語』「初段」の翻案という具体的テーマのもとで、物語作家としてのデビューを果たした―「若紫」が最初の巻であるなら―と言うことができるである。

 

こうした作者の作家としての姿勢は、たとえば、「桐壺」巻を『長恨歌』の翻案として制作したことと共通している。つまり、作者の『源氏物語』制作のモチーフの一つとして、いわゆる“古典の取り込み”というものがあったのである。このことは、物語作者である紫式部が、自らの物語を創作する原点として、先行する“古典”を引き継ぐのだという姿勢を強調しようとしたことを表している。
紫式部にとって、『伊勢物語』という作品は、ありていに言えば、先行する偉大な作品であった。紫式部にとって、『伊勢物語』という作品は、いかなる点に於いて偉大であったのか。『源氏物語』の作品としてのテーマの解明が、逆に『伊勢物語』の作品世界の解明にも有効でもあるということを示していよう。

 

さらに言えば、紫式部は、『源氏物語』の第三部「宇治十帖」の始発-「橋姫」巻-に当たっても、『伊勢物語』「初段」世界との比較対照を求めている。宇治に住む八の宮を訪れた薫が、八の宮の娘である大い君、中の君の姉妹を偶然垣間見るくだりは、まさに、『伊勢物語』「初段」の、「昔、男」が「女はらから」を垣間見るくだりの翻案と言っていい。

作者は、宇治十帖世界の前半部の作品構築に当たって、再び『伊勢物語』の「初段」世界の顧慮を求めたのである。「若紫」巻では、垣間見の対象は姉妹ではなかったが、この「橋姫」巻では、そのまま「女はらから」である。さらなる「初段」世界の取り込みと言っていいだろう。単なるモデル論議として終わるような次元のものではあるまい。「初段」世界の精密な読解と解析とが求められる所以である。

 

紫式部のこのような『伊勢物語』「初段」世界の取り込みは、いかなる理由から行われたのかという問題提起は、それはそれで、『源氏物語』論の重要なテーマとなり得よう。が、ともかく、このことは、『源氏物語』の作者にとって、『伊勢物語』がいかに重要な作品であったかということを物語っているのである。そこには、『伊勢物語』という物語が、乗り越えるべき対象というよりも、むしろ、継承すべき“古典”という強烈な認識があったものと考えなければならない。「絵合」巻の認識とまったく同一の認識と言っていい。

『伊勢物語』研究の第一の目標こそ、現代の我々が、こうした紫式部の認識に立ち返ることができるかどうか、ということであるように思われてならない。

 

2010.12.01 河地修

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