河地修ホームページ Kawaji Osamu
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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第14回
『伊勢物語』作品論のために(三)
「歌物語」という呼称について

『伊勢物語』は「歌物語」だと言われているが、こういった言い方が正確には何時から始まったのか、私には確認することができない(おそらく明治期以降であろう)。ただ、純粋に語彙としては、現存する文献では、平安朝以降の『徒然草』等に認めることができるが、遡って、それが中古語として一般に使用されていたとは考えられない。『徒然草』の語例も、語義としては「歌のはなし」という程度のもので、今日我々が使っている「歌物語」という概念からは程遠い。

たとえば、『伊勢物語』という作品名が初めて文献に現れた『源氏物語』では、「歌物語」なる語は使われていない。というよりも、すでに「絵合」巻でみたように、『伊勢物語』は、直接その優劣を競った『正三位』や、その他の作品である『竹取物語』や『宇津保物語』と何ら変わることなく、同列に「物語」として論じられている。つまり、「伊勢」も「竹取」も「宇津保」も、みな「物語」ということなのだ。

 

しかし、今日、我々は、学問的呼称として「歌物語」という語を使用しているし、これからも使用するであろう。とすれば、「歌物語」というジャンル呼称は、「作り物語」という呼称とは区別されるという意味において、結果的に「作り物語」とは概念が異なるということになるのである。その意味では、『伊勢物語』と『源氏物語』とは、その性格が異なるという結論にも導かれてしまうのであって、こういう捉え方が正しいのかどうか、我々は、もう一度虚心に考えてみなくてはなるまい。

 

『伊勢物語』が、『源氏物語』や『竹取物語』などと何ら変わることのない平安朝の「物語」であることは、言うまでもないことである。だから、この物語を「歌物語」と呼称することは間違っている、と私は言いたいのではない。この物語の本質としての在り方は、あくまでも「物語」という性質なのであって、そういう意味で、その在り方は、『源氏物語』や『竹取物語』などと何ら変わることはないということなのだ。

『しかしながら、そういうこの物語の本質を認めたうえで、この物語の一方の性質を表現するものとして「歌物語」という言辞が成立しているという事実を直視しないわけにもいかないのだ。矛盾するような論理の展開ではあるが、この物語を、「歌物語」と定義することは、以下のような理由から、あくまでも正しい。

 

この物語を見てすぐに分かることだが、全体の構成として、長短さまざまの、独立する125の章段(定家本系統)から成り立っている。この独立という形態は明確であって、第17段を除けば、すべてが「昔」という語から始まるのである。これは、言い換えれば、一章段が終わった時点で、また「始まり」に戻るわけで、まさに"独立する個々の章段の集まり"と言うことができるのだ。

実は、この物語のこういう形態に、"物語の成長、増補"といった考え方が入り込みやすかったということもあるのだが、しかし、作者にとってみれば、一段一段が別物としても強調できるわけで、作品創造という観点から言えば、気持の上では造り易かった、ということは言えるのではないか。

作者は、気楽に章段を繋ぎながら、しかし、要所はしっかりと締める、という物語制作上の手法を取ることができたのである(この繋ぎの手法は後『源氏物語』の巻々の連鎖に受け継がれた)。

 

ともかく、『伊勢物語』は125段の各章段が独立して存在していることは事実なのだ。そして、もう一つの大きな特徴は、その125段のすべての章段が「和歌」を所有するという点において、この物語は、明らかに「歌物語」と言い得るのである。そのすべての章段=物語が「和歌」を所有するということは、別の言い方をすれば、この物語の主役こそ「和歌」であると言うことができるのである。

「和歌」が主役であるとはどういうことか―。それは、それら和歌の出来栄えや歌風云々といったことではない。端的に言えば、それらの「和歌」についての、もろもろの「物語」を語るということであるであろう。すなわち、最もわかりやすいのは、それらの和歌が、どのような事情で詠われたのか、ということである。その具体的な事情こそが、「歌」についての「物語」、すなわち「歌物語」ということに他ならないのである。

 

「和歌」が詠われるに至った事情のなかで、その「和歌」を詠ったのは誰であるのか、ということは大きな関心事であっただろう。また、いつ、どのような経緯から、それが詠われたのか、ということも、同じように重要な関心事であったに違いない。そういった当該の「和歌」についての「情報」を発信するものが「歌物語」であるとするならば、同様の性質を有するもので、『伊勢物語』より以前に成立したものとしては、『古今和歌集』を挙げねばならない。そして、さらに言えば、その当該の「和歌」の前に置かれる、いわゆる「詞書(ことばがき)」と呼ばれる形式のものがそれに当たるであろう。

たとえば、『古今集』全巻の冒頭として名高い「巻一」の巻頭歌を、詞書とともに掲げてみよう。

     ふる年に春立ちける日よめる      在原元方
年の内に 春は来にけり ひととせを こぞとやいはむ ことしとやいはむ

この歌は、明治31年(1898)、正岡子規が「歌よみに与ふる書」で、「くだらぬ歌」の代表格として痛罵したことでも有名だが、その「詞書」部分に注目すれば、なぜこの歌が詠まれたのか、その事情を簡潔に伝えることに成功している。

     ふる年に春立ちける日よめる      在原元方

「ふる年」とは、まだ新年になっていない「年の内」ということで、新年正月を迎える前に「春立ちける」すなわち「立春」を迎えた、ということである。いわゆる「閏」に当たる「年内立春」のちょっとした異変の状況を受けての述懐が、当該の和歌のかたちとして「在原元方」によって詠われた、ということである。この歌が詠まれるに至った事情は、きわめて明快に伝えられていると言っていい。

 

このように、少なくとも、和歌の前に、その和歌が詠まれる事情を説明するという形態を持つということにおいて、『古今集』の「詞書」の在り方は、「歌物語」と基本的に同一の形態と言うべきである。

 

「歌物語」の始発である『伊勢物語』の形態は、その直接の源泉としては、『古今集』の「詞書」の形態を指摘すべきである。『古今集』の「詞書」は「勅撰集」の厳格な「書記」としての「形態」であり、『伊勢物語』の「物語文」は、自由な「語り」としての「派生形態」であった。

 

2011.6.26 河地修

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