河地修ホームページ Kawaji Osamu
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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第22回
第二段の主人公―「業平」と「まめ男」(1)

 

物語の構図

初段においてみごとな主人公像を造型し、その物語の始発をはなやかに彩った『伊勢物語』は、次の第二段においても、驚くべき仕掛けを用意した。

二段の冒頭の「昔、男ありけり」に続いて、「奈良の京は離れ、この京は、」と書き出すことにより、二段はいったん初段との連続性を示唆するかの姿勢を見せる。しかし、そのすぐ後に「人の家まださだまらざりける時」と続けることで、「奈良の京は離れ」が、空間上の言辞(場所の移動)ではなく、時間上の言辞(平安京遷都)、すなわち、第二段の物語の時代設定であることを言う。このあたり、章段相互の連続性と不連続性との機微と言っていいが、この性質については、かつて「連続と断絶」という概念で論文を草したことがある(『伊勢物語論集-成立論・作品論』・竹林舎・2003)。難しく言えば、この"連続性"と"不連続性"の対応の機微こそ、伊勢の作者がこの物語で試みた物語創造の実践の一つであった。

 

『源氏物語』「帚木」巻の「雨夜の品定め」にも明確に示されていることだが、当時の「物語」に見られる、いわゆるエンターテイメントのドラマは、ヒーローとヒロインの登場、あるいは、その出会いに、ある種の法則が存在する。それは、思いがけないところに美女(ヒロイン)が棲み、それを主人公の貴公子(ヒーロー)が偶然発見し求愛(求婚)する、という構図である。

たとえば、「初段」の場合は、「都」を離れた「ふる里(旧都)」に「女はらから」を見出す(垣間見)という構図であり、これは、ヒロインの側から言うならば、世間から忘れられ、ひっそりと"ふるさと"に棲んでいるところを見つけ出される(救い出される)という構図であった。

実は、この構図が、そのまま第二段にも連続して用意されたのである。すなわち、「都」の中ではあっても、当時は荒廃したイメージの強かった「西の京」(荒廃の様子は『池亭記』(慶慈保胤、982年)に詳しい)に、物語のヒロインが棲んでいるという設定である。まさに、初段の旧都―「ふるさと」に棲む「女はらから」と同様、時代から取り残されたヒロイン像の設定と言っていいだろう。

当然のことながら、読者は、初段の物語内容と同様の展開を期待するはずであって、初段に登場した「なまめいたる女はらから」に替わるヒロインが、第二段の「西の京の女」ということになるのである。しかし、このヒロイン像が連続するという期待は、物語本文を丁寧に読んでいくと、実は、大きく裏切られることになるのだが、このあたりの機微については後述したい。ここでは、まず、第二段のヒーロー「昔、男」について、検討せねばなるまい。

 

第二段「昔、男」が『古今集』「在原業平」であること

 読者は、おそらく、この章段の「昔、男」が、あの「在原業平」であることにすぐに気付いたであろう。なぜなら、この章段末にある男の詠歌、「起きもせず 寝もせで夜を 明かしては 春のものとて ながめ暮らしつ」が、『古今集』「巻十三」「恋三」の冒頭に載せる在原業平の詠歌であること、自明であるからだ。

 

『古今集』全二十巻のうち、もっとも読まれた"部立"が"四季"と"恋"であったであろうことは、想像に難くない。なかでも、「恋一」から「恋五」までの、特に巻頭に載せられる歌は、当時最も人口に膾炙した歌と言っていいだろう。つまり、この第二段の歌が在原業平の歌であるということは、当時の読者からすれば、第二段に目を落としただけで、すぐに分かることではなかったか。

このあたりの事情、すなわち、『伊勢物語』の読者が、その時、すでに『古今集』の"情報"を得ている、ということについて、もう一度、精緻に考察を詰めておかねばならない。言い換えれば、『伊勢物語』が世に送り出されたときの読者は、当時『古今集』からどのような情報を得ていたのか、ということでもある。

ここでもまた、『伊勢』と『古今』との、成立の先後のことを考える必要があるが、これまで何度も言及しているように、『伊勢物語』が制作された時点、『古今集』は、すでに成立していた。別の観点から言えば、当時の状況として、『伊勢物語』がなく『古今集』のみ存在している状況を想定してみなければならないのである。

『伊勢物語』がまだ世になく、『古今集』はすでに世にあって読まれている、という状況なのだが、これをどう考えるか、次に、具体的に考えてみよう。  

 

まず『古今集』である。「巻十三」の巻頭歌は詞書を含めて次のように書かれている。

 

やよひのついたちより、しのびに人にものら言ひて、のちに、雨のそほふりけるに、よみてつかはしける

在原業平朝臣

起きもせず 寝もせで夜を 明かしては 春のものとて ながめ暮らしつ

 

『古今集』の「恋三」は、恋の局面としては、それまでの「恋一」「恋二」とは違って、やや恋が進展している情況を伺わせるものを集めたものである。とはいえ、その巻頭付近は、いまだ恋は成就せぬ、その悶々とした情を切々と訴えるものが多い。

この歌はどうだろう。まず詞書であるが、「しのびに人にものら言ひて」に注目したい。中古語で「もの言ふ」とは、場面により多岐にわたって用いられる連語ではあるが、男女の場合、情を交わすことを示唆することが多い。

だが、ここではどうか。「やよひのついたちより」を受けて成り立つ語句であることを考えれば、「しのびに人にものら言ふ」とは、文字どおり、「三月一日より」「口説き続けた」あるいは、「求愛し続けた」ということの方が真相に近いかも分からない。「ものら」の「ら」も、複数を表す接尾語と考えるべきであろうから、業平の、日をおかぬ熱心で積極的な求愛ぶりが目に浮かぶ。

しかし、うたの表現から推測するに、業平の求愛は、はたして成就したのかどうか―。上句の「起きもせず寝もせで夜を明かして」は、業平自身の、悶々とした眠れぬ夜を言っているように思われる。また、下句の「ながめくらしつ」の「ながめ」とは、言うまでもなく「詠め」と「長雨」の掛詞であって、"春の長雨"のなか、"しのび歩き"もままならぬ業平の苦悩の姿を表現していると思われる。

つまり、業平の巻三の巻頭歌は、その詞書と詠歌の内容からするに、思うようにならない恋の苦しさを綴ったものと判断できるのである。

 

この『古今集』「恋三」の業平詠の巻頭歌だが、その具体的内容は、意外と不明確と言うべきではないか。たとえば、おそらく、当時の読者の関心は、当の「業平」の相手役は誰なのか、ということではなかったか。しかし、この『古今集』業平歌の詞書と歌意からは、ついにその具体的イメージは浮かび上がってはこないのである。

恋の名手の業平を、悶々と苦悩させ続ける相手とは誰なのか―。『古今集』当時の読者の、圧倒的関心の矛先は、そこにあったに違いない。

その業平のうたが、『伊勢物語』の第二段に収載されたのである。その詠歌の事情は、『古今集』の詞書よりは、いささか詳しい。当時の業平ファンは、胸躍るような期待感を持って、物語本文を読んだであろう。そこに描かれている世界は、「勅撰」の『古今集』世界には描かれない性質のものであった。すなわち、『古今集』世界にはなかった、隠された真相としての「はなし」が、「物語」という世界にはあるはずであった。

―この稿続く―

 

2014.4.25 河地修

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