河地修ホームページ Kawaji Osamu
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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第52回
うたびとたちの日常―男と女の「おのが世々」(21段)

 

「うたびとたち」の日常を語る第21段は、この物語のなかでは長い。深く愛し合っていた男女が、些細なことから別居し、その後、しばらく歌の贈答を繰り返したけれども、結局は別れてしまったというものである。別居した後から歌のやりとりが始まり、その贈答歌の紹介を中心に物語が展開するので、物語の地の文とともに、和歌の精緻な読解が求められる章段である。

少し長いが、贈答の微妙な機微を正確に味わうためにも、全文引用してみたい。

昔、男、女、いとかしこく思ひかはして、異心なかりけり。さるを、いかなることかありけむ、いささかなることにつけて、世の中を憂しと思ひて、出でていなむと思ひて、かかる歌をなむ詠みて、ものに書き付けける。

出でていなば 心軽しと 言ひやせむ 世のありさまを 人は知らねば

と詠みおきて、出でていにけり。

この女かく書きおきたるを、けしう、心おくべきこともおぼえぬを、何によりてかかからむと、いといたう泣きて、いづ方に求め行かむと門に出でて、と見、かう見、見けれど、いづこをはかりともおぼえざりければ、帰り入りて、

思ふかひ なき世なりけり 年月を あだに契りて 我や住まひし

と言ひて、ながめをり。

人はいさ 思ひやすらむ 玉鬘 おもかげにのみ いとど見えつつ

この女、いと久しくありて、念じわびてにやありけむ、言ひおこせたる、

今はとて 忘るる草の 種をだに 人の心に 蒔かせずもがな

返し、

忘れ草 植うとだに聞く ものならば 思ひけりとは 知りもしなまし

またまた、ありしよりけに言ひかはして、男、

忘るらむと 思ふ心の うたがひに ありしよりけに ものぞかなしき

返し、

中空に 立ちゐる雲の あともなく 身のはかなくも なりにけるかな

とは言ひけれど、おのが世々になりにければ、うとくなりにけり。

(昔、男と女がたいそう強く愛し合って、相手を裏切るような気持ちは微塵もなかったのだった。ところが、どのようなことがあったのだろうか、ほんの些細なことが理由となって、女は、夫婦仲を情けないものだと思って、出て行ってしまおうと思って、このような歌を詠んで、物に書き付けたのだった。

私が家を出て行ってしまったならば、軽率な行動だと言うだろうか。夫婦関係の実際のことを、人は知らないのだから

と詠み置いて、出て行ってしまったのだった。

男は、この女がこのように書き置いたことの理由が分からず、不信を招くようなことも覚えがないのに、どういうことが原因で、このようなことになってしまったのだろうかと、たいそうひどく泣いて、どのあたりに探しに言ったらいいものかと門に出て、あちらを見、こちらを見、懸命に見たけれども、どこを目当てにしていいかわからなかったので、家の中に引き返して、

愛したかいもない夫婦仲であったことだ、今まで二人で暮らした年月を、私がいい加減な気持ちで暮らしたというのであろうか

と言って、ぼんやりと物思いに暮れるばかりでいた。

あの人は、さあどうであろうか、私のことを今頃は思っているのではないだろうか、あの人の面影ばかりが、いっそう目の前に浮かび続けていることだ

この女は、ずいぶんしばらく経ってから、寂しさにこらえきれなくなったのであろうか、次の歌を詠んでよこした。

今はもうこれまでと人のことを忘れてしまうという草の種を、せめてあなたの心には蒔かせたくないものだ

男の返しは、

忘れ草を、あなたが植えるとだけ聞くものならば、今まで私のことを思ってくれていたのだと知ることも出来るだろうに

こうして、以前よりもいっそうお互いに歌を詠みかわすことになって、

男は、

あなたが私のことを忘れていることだろうと思う心の疑いのために、私は、以前よりもいっそう物悲しいことだ

女の返歌は、

空の中程で漂っている雲がやがてあとかたもなく消え去ってしまうように、私もまた、誰も頼ることのできない身の上になってしまったことだ

とは詠み送ったけれども、結局はそれぞれ別の人生を過ごすことになってしまったので、二人は疎遠になってしまったということだ。)

この21段については、かつて、ほとんど何の根拠もなく、後世の読者が歌を付加していったもの、というような見解が見られたが、むろん、「成長論」に影響を受けた結果であって、間違いである。精緻に読めば、章段世界の構成は整然と展開されており、まさに、9世紀を生きた「うたびと」としての一組の男女の物語が、実に生き生きと表現されていると言っていい。

 

2017.9.8 河地修

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