河地修ホームページ Kawaji Osamu
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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第59回
貴族であることを問う―「あづさ弓」章段(24段)の女はなぜ死んだのか?(一)

 

「かたゐなか」と「宮仕へ」

『伊勢物語』「24段」は、「あづさ弓」章段とも呼ばれている。直前の「筒井筒」章段と並んで高校の教科書にもよく取り上げられているので、多くの読者を獲得している章段ではあるが、なかなか正確に読解されているとは言い難いのではないかと思われる。

話のあらすじは、愛し合っている夫婦ではあったが、男(夫)が「宮仕へ」のために出掛けたきり、三年も帰って来なかった。そこで、女(妻)は、熱意を持って誠実に求婚してくれた新しい男と再婚するというその夜に、出かけていた男が突然帰って来たのであった。男は妻の新しい男との結婚を受け入れ引き返すのだが、女はその時の男の歌に感ずるものがあったのか、突然男の後を追うが、しかし、追いつくことができず、清水の湧くところで命が尽きてしまうという悲劇である。

和歌が多くちりばめられ、登場人物である男女の台詞に代わる役割もを果たしており、物語文と和歌とのみごとな融合といった趣のある「歌物語」と評価することができる。次に全段を掲げてみよう。

昔、男、かたゐなかに住みけり。男、宮仕へしにとて、別れ惜しみて行きにけるまま に、三年来ざりければ、待ちわびたりけるに、いとねむごろに言ひける人に、「今宵あ はむ」と契りたりけるに、この男来たりけり。 

「この戸開けたまへ」とたたきけれど、開けで、うたをなむ詠みて出だしたりける。

あらたまの 年の三年を 待ちわびて ただ今宵こそ 新枕すれ

と言ひ出だしたりければ、

あづさ弓 ま弓つき弓 年を経て わがせしがごと うるはしみせよ

と言ひて、いなむとしければ、女、

あづさ弓 引けど引かねど 昔より 心は君に 寄りにしものを

と言ひけれど、男帰りにけり。

女、いとかなしくて、しりに立ちて追ひゆけど、え追ひつかで、清水のある所に臥し にけり。そこりける岩におよびの血して書きつけける、

あひ思はで 離れぬる人を とどめかね 我が身は今ぞ 消えはてぬめる

と書きて、そこにいたづらになりにけり。

(昔、男が都にほど近い所に住んでいた。男は、朝廷に仕えるということで、女と別れ を惜しんで行ってしまったまま、男が三年通って来なかったので、女は、待ち詫びてい たところに、たいそう心を込めて誠実に求婚した人に、女は「今夜逢瀬を持ちましょう」

と約束したその日に、この男がやって来たのであった。

男は、「この戸をお開けなさい」と叩いたけれど、女は開けないで、歌を詠んで、出したのだった、その歌は、

この三年という年月、あなたを待ちわびて、そして今夜ついに、新しい夫と婚姻を 結ぶのです

と詠って伝えたので、男は、

弓は、梓弓、真弓、つき弓といろいろあるが、その弓ではないが、いろいろとあっ て長い年月を経て、しかし、その間、私は、あなたに対して変わらぬ誠実さを見せ たように、今度は、あなたが新しい夫を誠実に愛しなさい

と言って、行こうとしたので、女は、

あなたが、私の心を引こうと引くまいと、私の心は、昔からあなたに寄っていたも のを

と言ったのだけれど、男は帰ったのであった。

女はとても悲しくて、男の後から追いかけたが、追いつくことができずに、清水があ るところに臥したのであった。女は、そこにあった岩に、指の血で書き付けたのだった、

互いに愛し合うことなく離れてしまった人を留めかねて、我が身は、今、むなしく 消え果ててしまうようです

と書いて、そこで死んでしまったのであった。)

実は、この24段は、前段の23段とその構成に関連性があるように思われる。まず、両段ともに、互いに深く愛し合う夫婦ということで共通している。しかも、その夫婦が、やむを得ない理由で、男が新しい妻の元へ通ったり(23段)、「宮仕へ」ということで、男が都に行き別離を余儀なくされたり(24段)ということで、女には厳しい試練が待ち受ける。しかし、そのかたちを通じて、女は、夫である男を信じ続けることができるかどうか、ということが試されているとも言えよう。

23段の女は、男への不変の姿勢で見事にその愛を貫いたが、24段の女は、三年目に、別の男の求婚を受け入れた、というかたちにおいて、両者は際だった対照を示している。

両段は、登場人物たちの配置構造においても、対照的な趣がある。23段が主人公の男に二人の女が配されるのに対して、24段は、逆に、主人公の女に二人の男が配されている。そして、23段は夫婦が元の鞘に見事に収まるかたちで結末を迎えるが、24段は、その真逆の結末という悲劇で幕を閉じるのである。

この両者の関連性は、やはり、キーワードとして「没落貴族」を挙げることができるだろう。23段の男女は、大和で「わたらひ」をせざるを得ない男女であったし、24段は、三年間も帰ることができない「宮仕へ」に出仕しなければならない男であった。それは、あるいは、貴族社会の底辺で生きてゆかざるを得ない最下層の弱小貴族たちの現実と言っていいかもしれない。彼らは、貴族社会の底辺において、そこにかつがつ繋がりながらも、「ゐなか」(23段)や「かたゐなか」(24段)で生活せざるを得なかった没落の弱小貴族だったのである。

この24段において、主人公たちが、底辺ながらも貴族階層に連なる存在であることは、実は、冒頭の「かたゐなか」と「宮仕へ」という言葉から明らかと言えよう。

「かたゐなか」という語彙は、現在においては、「都会から遠く離れた村里。へんぴな田舎」(広辞苑)ということになろうが、これは、中古語では「かた」と「ゐなか」とからなる複合語として理解しなければならない。すなわち、まず「中古語」の「ゐなか」という語彙の正確な理解が求められるのである。

中古語の「ゐなか」は、現代語の「田舎」ではない。「都の外の土地」ということで、23段では、そこがたまたま「大和」であったに過ぎないのである。そして、24段では、その「ゐなか」に「かた」が接頭辞として付いたものなのであって、この場合、「かた」がどのような意味を持つのかが問われなければならないのである。

「かた」とは、「偏」「片」などといった漢字の性質を持つものであって、「不十分、不完全」ということである。従って、『角川文庫新版伊勢物語』(石田穣二)の脚注が、この語について、「片田舎で、「片」は偏の義。田舎としてかたよっている、つまり都に程近い田舎である。」と指摘するとおりであって、この24段の男女は、都に「程近い」場所で暮らしているのであった。そういう場所であるからこそ、男は、「宮仕へ」、すなわち朝廷での勤務に従事することになったものと思われる。

しかし、男の「宮仕へ」とは、どのようなものであったのかはわからない。「あづさ弓ま弓つき弓」という歌に使用される言葉の連想から、あるいは、「衛士(えじ)」ではなかったか、とする古注釈が多い。確かに、三年もの間、一度も女の元に帰れなかったというのも、そういう仕事であったとすれば、わからなくもないが、厳密に言えばよくわからない。

ともかく、男は、女の元へ帰りたくとも帰れなかった、そういう「宮仕へ」に、三年間従事していたとしなければなるまい。

 

2017.11.11 河地修

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