河地修ホームページ Kawaji Osamu
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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第60回
貴族であることを問う―「あづさ弓」章段(24段)の女はなぜ死んだのか?(二)

 

我がせしがごとうるはしみせよ

男の「宮仕へ」がどのようなものであったにせよ、宮仕えに出たまま、三年もの間女の元へ帰らなかったことについて、しかも、おそらくは、その間、女に消息も出さなかったであろうこの男の行為について、それはないのではないか、という非難が起こるのは、この時代といえどもごく当然のことではなかろうか。

しかし、三年目に帰って来た時の男のうたを丁寧に読めば、少し事情が違うように思わる。

梓弓 真弓つき弓 年を経て 我がせしがごと うるはしみせよ

(弓は、梓弓、真弓、つき弓といろいろあるが、その弓ではないが、いろいろとあって長い年月を経て、しかし、その間、私は、あなたに対して変わらぬ誠実さを見せたように、今度は、あなたが新しい夫を誠実に愛しなさい)

男は、自身の行為に、微塵も悪びれた様子はなく、けっして悔悟の念を持ってはいないように思われる。つまり、「我がせしがごとうるはしみせよ」という句には、自身がいかに誠実を貫いて女の元に帰って来たか、そして、女への愛情は、今までも、今も、不変であるということを、はっきりと示している読みとることができるのである。

 

この歌にある「うるはしみ」とは、形容詞「うるはし」に接尾辞「み」が付いたもので、「うるはし」という語彙の有する内容を体言化したものである。すなわち、「うるはしみせよ」とは、「うるはし」ということをせよ、というようなことであって、具体的に言えば、今宵婚姻を結ぶ新しい男に「うるはしみ」=「誠実な愛情」を注ぎなさい、ということなのである。

中古語の「うるはし」は、原義としては、きちんと整っている、端正、という概念であり、この場合の男の心情には、「わがせしがごと」―私があなたに示したように、今度は、新しい男に、きちんと誠実に向かい合いなさい、と言っているのである。男の心情には、一点の曇りもなく、まさに、自身の行動の正しさの発露と言っていいのではないか。

このくだりを読む限り、男は、正しいのである。女を裏切ることなく、この夜、女の元に帰ってきた男の行動は、間違いなく「うるはし」と言うべき正しさだったのである。物語ではその間の事情が書かれていないだけのことで、この場合の男の「宮仕へ」とは、三年もの間、女の元へ帰ることはむろんのこと、連絡することも適わぬほどのものであった、としなければならないだろう。それがどういう仕事(宮仕へ)であったのかは問題ではない。男は、そういう事情を伴う「宮仕へ」に、三年前に出仕し、そして、間違えることなく、今、女の元に帰って来た、それだけのことなのである。

 

この男の所属する階層は、疑うことなく、貴族社会の底辺としての「弱小貴族」であったと言うほかはない。「かたゐなか」から都に出仕し、三年もの間、「宮仕へ」として束縛されねばならなかったのである。そういう生き方しか叶わぬ階層であったとしなくてはなるまい。

そういう男に対して、一方の女はどうであろう。実は、女もまた、けっして迷うことなく、言うならば、疑うことなく新しい男との婚姻を決意したように思われる。その決断には、揺らぐことのない自信があるのではないか。その表れが、男の訪問に際して、戸を開けることなく応対した行為であった。そして、その時に詠んで出した歌、

あらたまの 年の三年を 待ちわびて ただ今宵こそ新枕すれ

(この三年という年月、あなたを待ちわびて、そして今夜ついに、新しい夫と婚姻を結ぶのです)

に、女が自分自身の行為(再婚)の根拠とした理由が明示されていたとしなければならない。その根拠とした理由こそ「あらたまの年の三年を待ちわびて」の「三年」という歳月であったように思われる。

この女にとって、男を待ち続けた「三年」という歳月は、いったいどのような意味を持つものであったのか―。次に、このことが問われなければならない。

 

2017.11.11 河地修

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