河地修ホームページ Kawaji Osamu
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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第61回
貴族であることを問う―「あづさ弓」章段(24段)の女はなぜ死んだのか?(三)

 

「三年」と「戸令」

24段のキーワードは、間違いなく「三年」であろう。この章段のドラマは、「宮仕へ」に出かけたきり男が長らく帰って来なかったところから始まるのだが、その帰ってこなかった時間について、物語は、以下のとおり、わざわざ「三年」という歳月を強調するのである。

男、宮仕へしにとて、別れ惜しみて行きにけるままに、三年来ざりければ、

(男は、朝廷に仕えるということで、女と別れを惜しんで行ってしまったまま、男が三年通って来なかったので、)

さらにまた、女の歌でも「三年」という言葉が明示されている。

あらたまの 年の三年を 待ちわびて ただ今宵こそ 新枕すれ

(この三年という年月、あなたを待ちわびて、そして今夜ついに、新しい夫と婚姻を結ぶのです)

このように、女が再婚を決意した理由としては、「三年」という時間の経過にあることがわかるのではないだろうか。つまり、女としては、男の帰りを「三年」待ったが、ついに帰らなかったので、という理屈なのであろう。女に求婚した新しい男が、この「三年」を認識していたかどうかはわからないが、女にとっては、その男が「ねむごろに」求婚したことにも心を動かされたのであろう。しかし、何はともあれ、物語文と和歌で、二度にわたって「三年」という言葉が強調されることの意味については検討がなされなければならない。

 

実は、諸注、この「三年」という言辞に注目している。すなわち、次に掲げる『戸令』「第八」の規定を指摘するのである。

雖已成、其夫没落外蕃、有子五年、無子三年、不帰、及逃亡、有子三年、無子二年、不出者、並聴改嫁

(已に成すと雖も、其の夫外蕃に没落し、子有るは五年、子無きは二年、帰らざる、及び、逃亡し、子有るは三年、子無きは二年、出でざる者、並びて改嫁を聴す)

この規定は、婚姻関係にある夫婦の場合、その夫が「外蕃」に「没落」した場合は、子供がいる場合は「五年」、子供がいない場合は「三年」で、それとともに、夫が「逃亡」した場合は、子供がいれば「三年」、いない場合は「二年」で、それぞれ「改嫁」(再婚)を許すというものである。

諸注がこの『戸令』の規定を指摘するのは、24段の夫婦の場合、子供がいるようには思われないので、「外蕃」に「没落」したにせよ、「逃亡」したにせよ、「三年」という年限によって「改嫁」が許されるとするのである。

一方、石田穣二博士は、この『戸令』を指摘する諸注に対して次のように述べて批判された。

この男の場合、外蕃に没落というのでも逃亡というわけでもないから、『戸令』の規定にはあてはまらない。前に「別れ惜しみて」とある以上、この物語で女にふられた役割は、いつまでも男を待つという役割でなくてはならない。

(『新版伊勢物語』補注 角川文庫)

石田穣二博士が指摘されるとおり、24段の男は「宮仕へしにとて」女の元を去ったのであるから、この『戸令』の規定は当てはまらないのである。どう見ても、男の「宮仕へ」が、「外蕃」への「没落」でもなければ、また行方の知れない「逃亡」とみなすことはできまい。私は、この石田博士の見解を支持しつつ、しかし、このくだりの解釈については、やはり、『戸令』の規定を指摘しなければならないのではないかと思う。

その前に、『戸令』とは何か、ということを再確認しておきたい。基本的なことだが、『戸令』とは、「戸」についての「令」ということで、わかりやすく言えば、「戸」のさまざまな「きまり」ということである。我が国においては、「近江令」「飛鳥清浄原令」「大宝律令」「養老律令」といった階梯を経て整えられたのは周知のことであろう。

「律令」に基づく政治体制をいわゆる「律令制」と呼ぶのは言うまでもないが、この政治体制が瓦解してゆくのは、十世紀以降、活発化してゆく有力貴族や寺院の荘園、そして地方を拠点とする武士階級の所領の増大などが原因であって、この『伊勢物語』が語るところの「九世紀」は、まだ「律令」による政治の時代であった。

さらに、『戸令』の「戸」とは、律令体制の根幹である「地方行政組織の最末端の組織」であり「農民支配の基本単位」のことである(『国史大辭典』)。つまり、律令による中央集権国家の運営には欠かすことのできない「農民」の戸籍作成(670年に作成された「庚午年籍」が最初である)の基本データということである。そして、何よりも、その「戸」に所属する構成員とは、「農民」なのであった。「戸」とは、古代律令体制を支えた農民たちの組織のことであり、『戸令』とは、その取り締まりのための法令だったのである。

従って、石田博士が、この24段の男の場合には当てはまらないとされたのは、まさに正鵠を射た指摘と言わなければならないが、しかし、女が「あらたまの年の三年を待ちわびて」と、ことさらに「三年」という歳月の経過を強調することについては、どのように理解すればいいのであろうか。

やはり、24段の女は、古注が揃って指摘するように、新しい男との再婚については、『戸令』にある「三年」という規定に従った、もしくは、参考にした、と解釈すべきなのではないかと思われる。この女は、『戸令』がその対象とする農民層ではけっしてあるまいが、しかし、男と同様、貴族社会の最下層階級に属する以上、農民階級が拠って立つところの『戸令』に通じていたことは充分に考えられるのである。

前段の23段の「高安の女」が、つい「うちとけて」大和の男の前で飯を盛ったように、24段の女もまた、思わず『戸令』の規定を参考にして身を処してしまったのである。彼女たちに共通して言えることは、その行為は、没落したとはいえ、けっして「貴族」たるものが取り得る行為ではなかったということである。いや、それは、没落したからこそ、その誇りだけは失ってはならぬ、守り通さねばならぬ「貴族の精神」だったのであるまいか。

 

 

2017.11.23 河地修

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