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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第72回
後宮のうた人たち―『伊勢物語』「第31段」

 

見事な切り返し

『伊勢物語』が語っている「時代」が「九世紀」であることは言うまでもない。この国の和歌の歴史において、天地開闢以来、天皇とともにあらねばならなかった和歌が、この時代(九世紀)、そうではなかった、という意味において、この時代の和歌のあり方の実際を示すことは、きわめて意味の深いことであった。

延喜五年(905)、醍醐天皇の名のもとに誕生した『古今和歌集』は、その歌集名の「古今」という言辞に、「古」から「今」へ、という歴史認識に基づく深い意味を有していると言えるのだが、それと同時に、「仮名序」「真名序」の両序において、そのことは、具体的、かつ、明確に主張されている。

『古今和歌集』の「序」によると、「今の世の中」(平安新京)になってから、和歌はほとんど顧みられることはなかったというのであるが、むろん、これは誇張である。平城天皇が退位(809)してから後、確かに、日本文学文化史は、唐風謳歌の時代へと展開するわけだが、しかし、この国の「うた」(やまと歌)が消えたわけではなかった。「真名序」によれば、「好色之家」や「乞食之客」を中心に詠み継がれ、その後「六歌仙」を代表とする「うた人」たちが『古今集』の時代へと和歌を継承していったのである。

「乞食之客」はともかくとして、「好色之家」は、幅のある空間性を持っている。「好色」とは、異性を好むこと、そして「家」とは場所であるから、わかりやすく言えば、恋愛の世界とでもいうことになろう。つまり、九世紀の唐風謳歌の時代において、恋愛の世界では、和歌は精力的に詠われていたということになる。

ところで、宮中内に「後宮」と呼ばれる一帯がある。文字どおり内裏の後方に広がる殿舎であり、主として時の天皇の后が居住したところである。「後宮十二殿舎」と言うように、最盛期には、各殿舎それぞれ「女御・更衣」と所属する女官、女房たちがひしめきあったのである。よく後の江戸城大奥のようなイメージで捉えられることがあるが、男子禁制などといったところではなかった。男性貴族も比較的自由に出入りしたので、ここでの男女の出会いは多かったのである。当然、多くの恋の花が咲いたはずであり、その恋をめぐって和歌も数多く詠まれたに違いない。

『伊勢物語』は、比較的中下流貴族の話が多いため、後宮といった華やかな世界を舞台とする物語は少ないが、「第31段」は、珍しく「後宮」内でのエピソードを語る物語である。次に掲げてみよう。

昔、宮の内にて、ある御達の局の前を渡りけるに、何のあたにか思ひけむ、「よしや、草葉よ、ならむさが見む」と言ふ。

男、

罪もなき 人をうけへば 忘れ草 おのが上にぞ 生ふと言ふなる

と言ふを、ねたむ女もありけり。

(昔、宮中で、そこに住む身分の高い女房の局の前を通り過ぎたところ、何の仇だと思ったのだろうか、「まあ、いい、草葉よ、やがて最期はどうなるか、その姿を見よう」)と言う。

男は、

罪もない人を悪く言うと、忘れ草が、自身の身の上に生えるという話だ。

と言うのを、くやしがる女もいたのだった。

難解な章段として、諸注解釈の分かれるところではあるが、押さえておかなければならないのは、この男女のやり取りが、宮中内の「後宮」であるという点である。主人公である「男」を「業平」らしき人物と考えても構わないが、対する「女」は「御達(ごだち)」と言われており、その身分はけっして低くはないのである。それ相応の知性と教養を持ち合わせている女房と考えなくてはならない。

そして、この「宮の内」(後宮)での話が、九世紀という、いわゆる国風暗黒時代であることを思えば、まさに、この「宮の内」こそ、この時代の和歌の歴史を築いた女性たちの時空ではあった。

あらためて、この男女のやり取りを検証してみよう。「御達」なる女性の言葉「よしや、草葉よ、ならむさが見む」とは、この男への恨み言ではあっても、それが、開口「よしや、」と肯定的な表現であることを思えば、本気で相手を恨んだり憎んだりしているわけでもあるまい。二人の間に、あるいは、この御達にとって、何か男に憎まれ口でも叩きたいことがあったのである。それが「草葉よ、ならむさが見む」というものであった。

「さが」とは、「もって生まれた運命。宿命。」(日本国語大辞典)ということで、「草葉」の運命とは、やがていつかは枯れる、ということでなくてはならない。諸注言うように、その運命と同じように男も枯れる(死ぬ)、ということを言ったのならば、これはまさに呪いの世界であって、そういうことをこの「御達」が口にするとは思えない。これは、和歌的世界での表現なのである。いつかは「草葉」は「枯れる」だろう、それと同様のこと、あなたも私から「離れる」でしょう、すなわち、「枯る」=「離る」という掛詞の発想を利用した和歌的表現と見なくてはならないのである。

これに対して、男はどう反応したのか―。「罪もなき人」とは、私はこれからもあなたのもとに忘れずに通うつもりだ、という気持を伝えているのである。そして、「うけへば」―そういう人を悪く言うと、逆に「忘れ草」が「おのが上にぞ生ふと言ふなる」―そういうあなた自身に「忘れ草」が生える―あなたこそ私のことを忘れてしまうことになるでしょう、と見事に和歌で切り返したのである。「草葉」の「さが」から「忘れ草」へと切り返した男の歌に、女は、見事にしてやられた、ということなのである。それで、女は「ねたむ」―くやしがった、という後宮内での男と女のエピソードなのであった。

九世紀、この国の和歌は、『古今和歌集』の成立に向けて、「後宮」―女たちの世界で生き生きと胎動していた、と言うほかはない。

ちなみに、男の歌に「忘れ草」が詠われたので、女の言葉にも「忘れ草」があったはずだという観点からであろうか、『直解』(三條西実隆)が、「続万葉」「巻八」「忘れ行くつらさはいかにいのちあらばよしや草葉よならむさが見む」を挙げ、この歌の下の句を取ったものという見解を示したが、この男女のやり取りがよくわからないところから出て来た安易な見解である。そして、この『直解』の見解を石田穣二博士は支持されたが、そもそも「続万葉」「巻八」なる文献は、この世にその存在が確認できないのである。できない以上、支持も不支持もあったものではない。

 

2018.2.15 河地修

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