源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐

上:『源氏物語』の「胡蝶」巻で、紫の上は、秋好む中宮の「季の御読経」の催事に際して供華を行ったが、その時の使者として遣わされたのが、「迦陵頻」と「胡蝶」を舞う童子たちであった。庭の舞を見る画面奥の秋好む中宮と光源氏、春爛漫の六条院、西南の町である。

源氏物語小屏風絵-胡蝶-
(個人蔵、江戸初期)

下:「龍頭鷁首を、唐のよそひに、ことことしうしつらひて、楫取の棹さす童べ、皆みづら結ひて、唐土だたせて、さる大きなる池のなかにさし出でたれば、まことの見知らぬ国に来たらむここちして」―『源氏物語』「胡蝶」巻より

源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐
部会報告
平成21年10月14日 第八回 水曜部会

【報告】
10月14日、秋学期最初の水曜部会でした。
先生方を含めて9名の参加、発表者は私増田1名、担当箇所は19頁11行目~20頁14行目「野分の夕べ、靫負の命婦の弔問」の最初の部分でした。

野分めいた風が吹いて、急に肌寒さを感じる夕暮れのころに帝があれこれと桐壺更衣のことを思い出しになり、靫負の命婦という人を更衣の母の元にお遣わしになるという場面でした。帝が更衣を思い出す部分も、更衣のお邸の荒れよう、また更衣の母の悲しみに沈む様子も寂しくてとても悲しい場面でありました。

この部分では藤原兼輔の和歌「人の親の心は闇にあらねども子を思う道にまどひぬるかな」という歌が引用されていました。藤原兼輔は紫式部の曽祖父で、三十六歌仙の一人でもあります。発表前には深く調べなかったのですが、指摘を受けて引歌索引で調べてみますと26箇所も引用されている部分がありました。 この和歌にも詠まれている「子を思う親の心」が源氏物語の大きなテーマであり、だからこそこんなにも多く引歌があるのだろうと先生が解説してくださいました。

この時代は女性を明るい場所で見ることがほとんどありません。「闇の現」という歌にも、暗がりで会う本物は夢ではっきりと見た偽者に比べてそんなによくなかった、とあるように「見る」ことが王朝時代の最大のロマンだったようです。垣間見の興奮も、そのその気持ちからどんどん高まっていったのでしょうか。 現代日本ではあまりよくわからない気持ちですね。

次回は「野分の夕べ、靫負の命婦の弔問」の続きの部分を読み進めていきます。

学部4年 増田雪乃

 


※資料(アクセスキーを入力してください)
  桐壺巻「野分の夕べ、靫負の命婦の弔問」P19~P20