【報告】
平成21年7月1日(水)、白山キャンパス1号館1304教室にて、第四回水曜部会が開催されました。参加者は9名。
テキスト15ページ6行目~17ページ7行目、「更衣の死」の部分を読み進めました。
この箇所では、更衣の病が篤くなり、死に至るまでが書かれています。
前半の担当は学部3年の鈴木さん。
この場面で描かれるのは、いよいよ病が篤くなった更衣が宮中から退出する様子です。
「さらにえ許させたまはず」の部分では、「さらに~打消」(「決して~ない」の意)と「え~打消」(「~できない」の意)が重ねて用いることで、帝の退出を許したくない気持ちが強さが表れています。
また、退出の際によからぬことがあっては、この先御子が後ろ指をさされることになりかねません。
御子を宮中に留めて更衣の身を人目につかせずに退出させたところに、更衣の母君の配慮が見られます。
ここから読み取れるのが、更衣の母君が御子への並々ならない期待です。
後半の担当は、同じく学部3年の田辺です。
発表の際に、「更衣の母君は、更衣が助かると見込んで祈祷を行うのか」という質問が寄せられました。
加持祈祷は当時の一般的な民間療法あり、験のあると評判の僧侶は多忙であったようです。
更衣の母君が「さるべき人々」に今夜から祈祷を始めてもらうと言う箇所からは、母君が決してあきらめていないことがわかります。
河地先生がしてくださった解説によると、当時は祈祷していた病人が亡くなると、すぐに祈祷をやめ火を焚いていた壇を壊してしまうのが一般的だったそうです。
また、この場面では桐壷の更衣を「女」と記しています。
源氏物語では、男女の逢瀬の場面で登場人物が「男」「女」と記され、表記によって登場人物の関係が読み取れるのだそうです。
桐壷の更衣が「女」と記されていることで、このシーンが帝と更衣の二人の世界であることがわかるのです。
これは源氏物語を深く読む上で、重要なポイントであると言えると思います。
この場面で登場する帝の使者は、更衣を死を里の者が泣き騒ぐ様子から察知したと考えられます。
あまりにあっさりと引き返したように思われますが、それは死のけがれにふれないためであったようです。
当時は死縁がある場所に座るとけがれに染まるとされていたそうで、蜻蛉日記にもそれにまつわる記述があるとのことでした。
次回は、17ページ8行目の「若宮、母の喪により里邸に退出」から読み進めていきます。
学部3年 田辺ゆかり
※資料 (アクセスキーを入力してください)
桐壺巻「更衣の死」(前半)
桐壺巻「更衣の死」(後半)
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