源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐

上:『源氏物語』の「胡蝶」巻で、紫の上は、秋好む中宮の「季の御読経」の催事に際して供華を行ったが、その時の使者として遣わされたのが、「迦陵頻」と「胡蝶」を舞う童子たちであった。庭の舞を見る画面奥の秋好む中宮と光源氏、春爛漫の六条院、西南の町である。

源氏物語小屏風絵-胡蝶-
(個人蔵、江戸初期)

下:「龍頭鷁首を、唐のよそひに、ことことしうしつらひて、楫取の棹さす童べ、皆みづら結ひて、唐土だたせて、さる大きなる池のなかにさし出でたれば、まことの見知らぬ国に来たらむここちして」―『源氏物語』「胡蝶」巻より

源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐
部会報告
平成21年10月17日 第7回 土曜部会

【報告】
開催場所:白山キャンパス6316教室
出席者:7名
発表者:野呂 香

夏休み明けで担当者が決まっていなかったため、『古今集』成立までの歴史的背景についてお話ししました。概要は次の通りです。
奈良時代末期の政治的混乱、天武系から天智系への皇統の転換を経て桓武天皇が即位し、平安京へと都を遷します。 それに合わせて、文学文化も和歌を中心とした和風から漢詩を中心とした唐風へと変化しました。 嵯峨天皇、淳和天皇の時代は、文章経国思想のもと勅撰漢詩集が相次いで編纂されるなど、唐風謳歌時代とも称されます。 しかし、和歌の伝統は絶えることはなく、この時代にも私的な場では和歌が詠まれていました。 やがて、藤原氏の勢力の増長、摂関政治への移行の中で、後宮の重要性が増し、漢詩だけでなく和歌も詠まれるようになりましたが、 未だ政治的に疎外された人々が私的に愛好するにとどまっていました。 ところが、本来は即位するはずのなかった光孝天皇が即位したことによって、和歌を好む天皇が登場します。 六歌仙が登場し、歌合や屏風歌が登場したのもこの頃です。 続いて即位した宇多天皇の時代には、天皇家が主催する歌合が開かれるなど、和歌が私的なものから公的なものへと変貌を遂げます。 そのような中で、勅撰和歌集編纂の機運が高まり、『古今集』編纂へと向かっていったのです。
文学史などで、学習した内容だとは思いますが、特に皇統の転換と文学文化の関係についてお話ししました。 急なことでしたので、内容にも不足があったかと思いますが、今後、『古今集』を読んでいく上で、少しでもお役に立てばと思います。

野呂 香
東洋大学文学部日本文学文化学科
非常勤講師

 


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