源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐

上:『源氏物語』の「胡蝶」巻で、紫の上は、秋好む中宮の「季の御読経」の催事に際して供華を行ったが、その時の使者として遣わされたのが、「迦陵頻」と「胡蝶」を舞う童子たちであった。庭の舞を見る画面奥の秋好む中宮と光源氏、春爛漫の六条院、西南の町である。

源氏物語小屏風絵-胡蝶-
(個人蔵、江戸初期)

下:「龍頭鷁首を、唐のよそひに、ことことしうしつらひて、楫取の棹さす童べ、皆みづら結ひて、唐土だたせて、さる大きなる池のなかにさし出でたれば、まことの見知らぬ国に来たらむここちして」―『源氏物語』「胡蝶」巻より

源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐
部会報告
平成21年11月28日 第11回 土曜部会

【報告】
開催場所:白山キャンパス6306教室
出席者:4名
発表者:川畑有貴 (学部1年)

担当箇所はテキスト18ページ10行目から20ページ4行目までです。 六歌仙のうち文屋康秀、小野小町、大伴黒主、喜撰法師の4人を批評する場面です。
古今集の仮名序に挙げられたことで後世まで名を残した歌人たちですが、仮名序における批評ぶりはなんとも辛口です。 今回は真名序との比較で、少しずつ異なる記述があるところが非常に興味深いと思いました。
特に小野小町の「よき女の悩めるところあるに似たり。」という記述は真名序の「如病婦之着花粉。(病気の女がおしろいをつけたようなものだ)」とは雰囲気がかなり違います。 真名序の記述に比べ、貫之の論には病弱なヒロインのようなイメージ(徳富蘆花の『不如帰』が例に挙げられました)があり、悪く言っているわけではないと思われます。反対に大伴黒主は真名序よりも痛烈な批判にあっています。

真名序は草稿のようなもの、とうかがって参りましたが、仮名序と真名序、双方が残されている理由を考えさせられました。 貫之は強烈に自論を展開していますが、こうして真名序と比べてみることで改めて私たちに考えさせようとしたのではないかと思いました。

二回目の発表で拙い部分がまだまだ多くありますが今回も大変勉強になりました。

 


※資料(アクセスキーを入力してください)
  『古今和歌集』仮名序 (p18-20)