源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐

上:『源氏物語』の「胡蝶」巻で、紫の上は、秋好む中宮の「季の御読経」の催事に際して供華を行ったが、その時の使者として遣わされたのが、「迦陵頻」と「胡蝶」を舞う童子たちであった。庭の舞を見る画面奥の秋好む中宮と光源氏、春爛漫の六条院、西南の町である。

源氏物語小屏風絵-胡蝶-
(個人蔵、江戸初期)

下:「龍頭鷁首を、唐のよそひに、ことことしうしつらひて、楫取の棹さす童べ、皆みづら結ひて、唐土だたせて、さる大きなる池のなかにさし出でたれば、まことの見知らぬ国に来たらむここちして」―『源氏物語』「胡蝶」巻より

源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐
部会報告
平成22年1月6日 第17回 水曜部会

【報告】

本日1月6日は、2010年度最初の水曜部会でした。
参加人数は発表者の私棚倉、先生方を含め11名でした。
教室に入るなり交わされる新年の挨拶に、新たな年の幕開けを感じました。 箱根の駅伝では我らが東洋大学が二連覇を果たし、めでたい年明けとなりました。 駅伝に肖って、王朝研も長い道のりを皆で走り抜いて行ければ、と思います。

今回の担当箇所はテキスト26ページ14行目「故大納言の遺言」から、28ページ1行目「うらめしき」まででした。 この場面は、前回の発表内容である更衣の母君からの歌を受けて、桐壺帝の更衣の宮仕えに対する感謝と母君への慰めに始まり、「明け暮れ御覧ずる」長恨歌の屏風絵から故更衣を帝が思い起こす様子を描いています。

26ページ14行目「故大納言の遺言」27ページ1行目「宮仕えの本意」について、父親の死が宮仕えに及ぼす影響や、宮仕えを維持する財力の出所などの疑問が呈されました。 桐壺更衣の場合は、母君が「いにしへの人のよしある」人であったとあり、母系制の家で故大納言は通い婿であったのではないか、と河地先生からご指摘いただきました。 しかし、この母君の邸も靫負命婦弔問の折には「八重葎」と表されており、経済状態が厳しかったのか、ともみられます。

27ページ1行目「かひあるさま」4行目「さるべきついで」について、注釈書には具体的な内容が書いてあるのか、という疑問が呈されました。 若宮の地位に関する具体的な記述は、参考にした注釈書にはみられず、また新大系に「ぎりぎりのところは帝も明確に考え出すことができなかった」とあり、ここは単なる桐壺帝から母君への慰めとリップサービスだったのではないか、ということに落ち着きました。

27ページ10~11行目「げに通ひたりし容貌」について、その主語は誰であるか、という疑問が呈されました。 全集では、楊貴妃が芙蓉や柳に似通っているとし、新大系では故更衣が楊貴妃の絵姿に似通っているとしていたためです。 また、27ページ11行目「唐めいたるよそひうるはしうこそありけめ」の主語についても同様のことが問題となりました。 注釈書によって解釈が変わっているため、どちらを主語にしているのか、また何が何に似通っていたかが明確ではなかったことが原因として挙げられました。 ここでは、桐壺帝が故更衣と貴妃を重ね合わせ、絵姿の貴妃の唐風の装いをした更衣を想像し、実際の更衣を思い出す、という内容になっている、と河地先生からご教授いただきました。 注釈書によっては、底本にも違いがあり、その異なりに注意することが必要であること、また、青表紙本と河内本の違いにも注目してみることを学びました。

次回は、28ページ1行目、弘徽殿女御の態度と帝の悲しみの深さの場面に入ります。

学部4年  棚倉 悠


※資料(アクセスキーを入力してください)
  「桐壺」26p L.14~28p L.1