源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐

上:『源氏物語』の「胡蝶」巻で、紫の上は、秋好む中宮の「季の御読経」の催事に際して供華を行ったが、その時の使者として遣わされたのが、「迦陵頻」と「胡蝶」を舞う童子たちであった。庭の舞を見る画面奥の秋好む中宮と光源氏、春爛漫の六条院、西南の町である。

源氏物語小屏風絵-胡蝶-
(個人蔵、江戸初期)

下:「龍頭鷁首を、唐のよそひに、ことことしうしつらひて、楫取の棹さす童べ、皆みづら結ひて、唐土だたせて、さる大きなる池のなかにさし出でたれば、まことの見知らぬ国に来たらむここちして」―『源氏物語』「胡蝶」巻より

源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐
部会報告
平成22年4月21日 第21回 水曜部会

【報告】

  4月21日の水曜部会の報告です。参加者は先生方を含めて7名。担当は私鈴木香緒里、「桐壺」29~30頁 <若宮参内、祖母北の方の死> を発表しました。
  まず語句に関してご指摘をいただきました。若宮の美しさを表す「きよら」ですが、これは当時の一級美を示す時にのみ用いられる言葉だそうです。源氏の他に、紫の上、冷泉帝などに対して使われ、夕霧のように一段落ちる「きよげ」と併用されることもあります。同じく一級美を表す言葉として「あて」があり、「あてやか」「あてはか」の順に度合いが弱まります。14行目の「世人」は『伊勢物語』に既に見え、読み方が「よひと」か「よのひと」かで揺れがあります。ここは「世間の人」と訳しましたが、その「世間」の範囲が問題になりました。直後の「女御も御心おちゐたまひぬ」と比較して、庶民まで含めた「世間」でななく、「女房達の間」くらいの意味だろうということで落ち着きました。
  次に「月日経て」「明くる年の春」「御子六つになりたまふ年」と時間の流れが速くなっていることについて、これは「桐壺」巻のヒロインである更衣が亡くなったので、早く源氏を成長させて藤壺と出会わせる必要がある為だと考えられます。
  祖母北の方の死に関しては、新大系に「桐壺の家の祭祀が断絶せんとしている」と意味深な注釈がありましたが、「幼い源氏しかいないので、先祖供養ができなくなる」ということではないか、とのことです。
  最後に、11行目の「坊さだまりたまふにも」について、第一皇子立坊がなぜここまで遅れたのかという問題に対し、それ自体に意味があるのではなく、若宮の理想性を強調したという説と、「前坊」の廃太子事件に関係があるという説があります。「前坊」については「葵」「賢木」巻に詳しい記述があります。注釈書でも指摘されている通り、早良・高岳親王(廃太子)、保明・慶頼親王(即位前に夭折)、為平・敦康親王(后腹の皇子。外戚の問題で立坊せず)、敦明親王(立坊後に辞退)など、史実でもそれに近い事例があることから、個人的には事件の可能性もあるのではないかと考えています。この問題はこれからも調べていこうと思います。

学部4年 鈴木香緒里


※資料(アクセスキーを入力してください)
  「桐壺」29p~30p