源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐

上:『源氏物語』の「胡蝶」巻で、紫の上は、秋好む中宮の「季の御読経」の催事に際して供華を行ったが、その時の使者として遣わされたのが、「迦陵頻」と「胡蝶」を舞う童子たちであった。庭の舞を見る画面奥の秋好む中宮と光源氏、春爛漫の六条院、西南の町である。

源氏物語小屏風絵-胡蝶-
(個人蔵、江戸初期)

下:「龍頭鷁首を、唐のよそひに、ことことしうしつらひて、楫取の棹さす童べ、皆みづら結ひて、唐土だたせて、さる大きなる池のなかにさし出でたれば、まことの見知らぬ国に来たらむここちして」―『源氏物語』「胡蝶」巻より

源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐
部会報告
平成22年5月12日 第22回 水曜部会

【報告】
  参加者(敬称略):河地・大野・下河・古田・高橋(祐)・高橋(奈)・鈴木・熱田・田辺
  本日の発表範囲は、テキストの30頁7行目~31頁4行目「若宮のすぐれた才能」です。学部4年の田辺が担当しました。
  この場面では、祖母君の死後、宮中で暮らす若宮の様子が描かれます。 「宮中で暮らす」「御簾の中に入ることを許される」という2つの設定からは、若宮が帝に寵愛され、特別な扱いをされていることが分かります。 見出しにもなっている「若宮のすぐれた才能」として描かれた美貌・才知・遊芸の才は、物語の随所で発揮されていくものであり、この場面からは「光源氏」の片鱗を感じることができるのではないでしょうか。 さらに、本文には、「いみじき武士、仇敵なりとも」「琴笛の音にも雲居を響かし」という『古今集』仮名序に通じる表現が見られます。 『源氏物語』の読者層は教養のある貴族です。 つまり「いみじき武士…」「琴笛の…」の記述を読んだ読者は仮名序を連想することができたと考えられます。

  発表後は大野先生が補足や解説をして下さいました。
  「宮中で暮らす」という設定は特例ではあっても、現実離れした突飛なものではありません。 『宇津保物語』にはファンタジーに近いような描写が見られるそうなのですが、『源氏物語』はこれらの先に成立した作品を踏まえて書かれた、より物語として熟成した作品だと言えるのだそうです。 この『宇津保物語』には『源氏物語』と比較すると、興味深い点が多々あるとのことでした。
  そして、大野先生が注目なさったのが、「えさし放ちたまはず」という箇所です。 この記述からは弘徽殿女御が憎んでいた桐壷更衣の息子である若宮を可愛がっていたことが伺えるのですが、この後若宮は藤壺のもとにばかり訪れるようになります。 弘徽殿女御が青年になった源氏に冷たい理由が「幼い頃かわいがってやったのに」という気持ちからだとすると、先生の仰る通り、物語にぐっと深みが感じられるのではないでしょうか。
  「いみじき武士」に見られる「武士」は、当時の「風流を解さないもの」の代名詞であり、『源氏物語』にはあまり登場しません。 そんな武士が登場する場面が『源氏物語』の物語の後半「宇治十帖」の中にあります。 これを、平安時代の終わりごろから武士が力をつけ出した社会情勢を反映しているのではないかと見る古田さんの御指摘は、大変興味深いものでした。

  今回発表を担当した反省として、いろいろなことを詰め込もうとしてわかりにくい発表になった点が挙げられます。 要点をうまく押さえて発表する技術も必要だと強く感じました。 今後、古典を読み解くだけでなくこのような面も併せて、一層精進したいと思います。

学部4年 田辺ゆかり


※資料(アクセスキーを入力してください)
  「桐壷巻」30p L.7~31p L.4