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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



講義余話

『徒然草』を読む(1)

 

はじめに

昨年秋、渋谷区の「文学教養講座」で10回にわたって『徒然草』を講義した。『徒然草』については、前々から一度きちんと講義のかたちで読んでみたいという思いがあったので、私にとっては貴重な機会を頂いたことになる。

講義にあたっては、テキストを作成し、講座参加者への指針ともした。本コラムは、そのテキストに基づいての連載ということになる。そして、講義でもテキストでも述べたことだが、『徒然草』は、中古語と王朝文芸への深い認識と諒解とがなければ、それを正しく読解することは困難である。なぜならば、兼好法師その人が、そういう知見を充分に備えた人であったからである。

渋谷区での講義と本テキスト―「古文・現代文で読む『徒然草』」は、そういったテーマに基づいた実践と言えよう。

 

動乱期と随筆文学

日本古典文学における三大随筆と言えば、『枕草子』『方丈記』『徒然草』ということになる。この三作品は時代を大きく越えて制作された作品だが、個人の深い思索から生まれたものである点以外においても、共通の要素がないわけではない。それは、そういった思索を彼らにもたらした社会背景とは何だったのか、ということである。

『徒然草』は鎌倉時代末の動乱期を主な背景としている。兼好の生涯は正確には不明であるが、その没年は、『太平記』等の文献資料から類推するに、観応年間(1350~1352)であったであろう。南北朝、将軍足利尊氏の時代であった。言うまでもなく、この時代は、南朝、北朝と皇統が分裂、さらに足利幕府草創期のことで、幕府も不安定な時代であった。

『徒然草』の執筆についても、正確には不明と言うしかないが、現時点では、後醍醐天皇の時代、元徳年間(1329~1331)には現行に近い形のものが成立していたという定説に従っておく。まさに、鎌倉幕府という武家政権の末期であった。

平安京郊外吉田神社の神祇の流れを汲み、碑官ながらも京官としての階層に属していた兼好にとって、武家から王政への復古の動きには敏感に感じるものがあったに違いない。社会の変動に伴う一種不安にも似た雰囲気が、意外にも、この作品からは伺われないのは、あるいは、王朝貴族社会の一端に属する立場ならではの明るさも反映されているのではないか。つまり、同じ動乱期(平安朝末期)に成立した鴨長明の『方丈記』に見られるような深刻な終末観がないのは、兼好自身の性格もあったのだろうが、あるいは、王政復古の可能性を信じるような、どこか楽観的な気分もあったのではないだろうか。

 

兼好という人は、おそらく、王朝貴族文化の復古というものを夢見ていたように思われる。個人としての特性は特性として、極端なことを言えば、彼は、王朝貴族の一員として生き、さらに、その代表的存在でありたかった、と自身で思っていたに違いない。つまり、『徒然草』という作品は、平安朝の王朝貴族の正統なる文人が叙述したものにほかならないと思われるほど、みごとに王朝的文芸なのである。そして、その王朝貴族の正統という点では、たとえば、紫式部や清少納言が切り開いたように、創造性という観点において、王朝貴族文学の先頭を走る文人の一人であった。

 

『徒然草』は、中世鎌倉末期に成立した随筆ではあるが、正しく、『枕草子』という作品を継承する王朝文学の果実として、日本文学文化史に位置付けられなければならない。たとえば、その文章に注目してみるとよくわかる。『枕草子』の成立時期(1000年頃)から時代が下ること、およそ300年後のことである。しかし、その文章は、清少納言の文章を引き継ぎ、さらに、それを合理化するとともに、より完成の域に達した「中古語」にほかならないのである。卑近な例になるが、中学高校の古文教育の規範としてこの作品が常に選ばれ続けているのは、そういった事情があるからである。

変動の時代に生まれた『徒然草』について語る以上、前代の『枕草子』についても、その時代背景を語らねばならないが、実は、『枕草子』という作品もまた、「中関白家」の没落、中宮定子の悲劇という、清少納言にとって、自身が所属する組織(社会)の深刻な変動の事件から生まれたものなのである。清少納言は、中関白家の没落を直視しながらも、あえてそれを書き残さないという信念で、『枕草子』をこの世に遺した。

『源氏物語』や『枕草子』は、一見、平和で安定した王朝貴族社会から生まれてきたように思われる。むろん、それは間違いではないのだが、その時の個々の人間の生涯が、安穏で安定したものであったかどうかなどということは、あくまでも、個人の立場と鋭敏な感性とがもたらすものであって、一概には断ずることはできない。当然のことながら、社会の変動が個人の創作活動にどのような影響を与えているのかということについては、作品に即した丁寧で精密な読解が求められるであろう。

いずれにせよ、兼好は、鎌倉時代の末期から南北朝の時代に掛けて生き、そして、その人生において、『徒然草』を執筆した。この作品に微妙に影を落としているに違いない社会の空気を注視し、兼好という人間の歴史的な立場に鑑みつつ、作品本文を読解することが肝要と思われる。

―「古文・現代文で読む『徒然草』」より―

この稿続く

 

2017.01.30 河地修

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