『源氏物語について』
◆-源氏物語講話として-◆
『源氏物語』を読み続けている。大学の授業でも毎年読み、また大学の公開講座としても全巻を読む試みは実践中(桐壺から読み始め夕霧まで進んでいる)ではあるが、何といっても、源氏の全巻を読む試みとしては、豊島区民を中心として結成されている「十六夜会」というサークルでの活動が大きい。ここでは、すでに54帖すべてを読了し、その後、いくつかの作品を読んだ後、現在再び「桐壺」巻から開始し、今「玉鬘」巻を読み終わったところだ。
このサークルのメンバーは、だいたい60歳を越えた方が多い。読み始めた当初すでに高齢の方々も多かったので、参加者数としてはかなり減少した。しかし、その参加者のレベルは高く、常に大学院程度のレベルを意識して話している。
このサークルのメンバーから、ここで話していることをぜひ本にしてほしい、ということを何度も言われるようになった。私としても、私自身に与えられている人生の残りの時間を考えれば、やはり、しっかりと書き残しておかなければならないと痛切に思うようになった。
私は、『源氏物語』に関しては、正面からの研究論文はほとんど執筆しておらず、研究としての仕事は少ない。『伊勢物語』研究に集中したということもあるが、あくまでも、この物語に関しては、正しい読者でありたいと思っていたことが大きい。作品を研究する研究者が、必ずしも、その作品の正しい読者ではないということを目の当たりしている私は、この物語の忠実な「読者」であり続けたいと切望していたのである。
しかし、私自身の、『源氏物語』の「読み」を残しておきたい、否、残さなければならないと思うに至ったのは、この物語に関する研究史への絶望的な思いがあるからだ。本来面白いはずのこの物語がそうではなく、『源氏物語』は難解な作品というイメージが強くなり過ぎているという印象が強い。
先日のことだが、フランスから見えた日本古典文学の研究者と食事をしていて、『源氏物語』はこんなにもおもしろい、ということをアルコールが入ったせいもあって、夢中になって話したら、
そんな話が聞きたいのです、『源氏物語』はこんなにもおもしろい、という講演を、ぜひお願いします。
と勧められた。
そんなこともあって、『源氏』のおもしろさを平易に正しく解説することの必要性を痛感したのである。そして、まずは、本ホームページ上で発表していきたいと思うのは、本当の意味での社会への公開作業を実践したいからに他ならない。日本古典文学こそ、その魅力は全世界に発信されなければならないが、そのための手段として、私は、インターネット上での発表にこだわりたい。
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