講義余話
国文学科から日本文学文化学科へ(3)―「文学文化」という言葉
平成22年3月16日
学科名に「日本」を冠することは、近代日本史への強い反省としての偏狭な国家主義との訣別であった。そして、その姿勢は、世界から日本を視るという客観的姿勢の堅持という厳密な学問のあり方を問う姿勢でもあったのだ。我々は、この姿勢に加えて、新たにもう一つの姿勢を世に問うことにした。すなわち、「文学」から「文学文化」への展開という新機軸である。
「文学文化」という言葉は耳慣れない言葉であろう。「文学」にあえて「文化」という言葉を連接融合させたのは、一言で言えば、既成の「文学」からの解放であったと言っていい。すなわち「文学」を理念や理論という狭い概念で捉えるのではなく、広く、人間の一般的営みの次元でこれを考えていくべきだという姿勢なのである。
「文化」とは、人間の一般的な生の営みの中から自ずと醸成されてくる諸々のスタイルであり、人間の暮らしとは表裏一体のものである。そこに人間が在る限り、そこには様々な「文化」が生まれてくるであろう。我々はこういった「文化」の産物としての「文学」の在り方を考えていこうとするのである。
このような「文学文化」の捉え方は、たとえば、その対象として、従来の日本文学史に燦然と輝く古典の名作だけではなく、長い車中で時が経つのを思わず忘れさせてくれる読み捨てのミステリーの類はむろんのこと、遥か古代の石碑の銘文でさえも、その対象としての仲間入りが許されるであろう。それらが「文化」としての人間の生の営みの中から生まれてきたものである以上、それらは、間違いなく、正しく人間というものを知る道標でもあるからだ。我々の目的は、「文学文化」の在り方を尋ねることで、人間というものを正しく知ることにあるのである。
「日本文学文化学」とは、如上の認識のもとに、日本や日本人を正しく知ろうとする学問であると言っていい。我々が意識するところの「文学」とは、広義な意味での「文学」ということになろうが、それは、ありていに言えば、「書き物」とでも言ったほうが正しいかも知れない。「文学の解放」と言う所以でもある。
むろん、我々の目的は、日本や日本人を正しく知ることにあるのだから、その方法論としては、「書き物」だけとは限らない。隣接諸分野に属する美術、音楽、演劇、思想哲学、地理、歴史、日本民俗学、建築、政治経済等、ありとあらゆるものを、「日本文学文化」は、幅広く包摂していかざるを得ないのである。そういった学際的なエネルギーが必然的に求められるのが「日本文学文化学」なのであって、その在り方は、従来の伝統的な国文学の在り方とは大きく一線を画している。常に人間を見つめ、常に人間の生の営みとしての「文学文化」の在り方を総合的に考えていこうとするところに、この学問の意義と特徴とがあるのである。
平成12年度に出発した日本文学文化学科の開設記念セレモニーは、本学国文学科出身で、ベストセラー作家、内田康夫氏の講演会であった。当時白山キャンパス最大の教室を超満員にして行われたこの記念講演こそ、実は、我々の企図するところの「日本文学文化学科」の基本理念を象徴する出来事でもあったのだ。
その日から、すでに10年の歳月が流れた。本年の4月からは、専修大学に、「日本文学文化学科」が新たに誕生する。我々が10年前に世に問うた新しい学問の在り方と教育理念とは、今、確実にその根を下ろしたと言っていい。