講義余話
10世紀の物語事情―『三宝絵詞』を読み解く―(2)前述したように、幼児期においては今日言うところの児童文学的な物語が制作され、やがて幼児から少女への成長の過程で、それらに替わるかたちで、恋の物語が制作されたのではなかったか。
再び『三宝絵詞』の当該部分を引いてみよう。
伊賀のたをめ、土佐のおとど、いまめきの中将、なかゐの侍従など云へるは、男女などに寄せつつ花や蝶やと言へれば、罪の根、言の葉の林に露の御心もとどまらじ。
「伊賀のたをめ」、「土佐のおとど」、「いまめきの中将」、「なかゐの侍従」とあるのは、おそらく、当時制作された恋物語の主人公ではなかったかと思われ る。「伊賀のたをめ」は、主人公が伊賀出身ということではなくて、父親などが、伊賀の国司などを勤めたことがあるというところからの呼称なのであろう。 「たをめ」とは、たおやかな女ということであり、物語のヒロインにふさわしいイメージではある。それに対して、「土佐のおとど」とは、男性主人公の呼称で ある。「土佐」という言葉から連想されるのは、当地が遠流(おんる)の地であったということで、彼の地に流されるという逆境のなか、主人公がついに復権し て「大臣」にまで昇りつめた物語だったかとも思われ、いわゆる「貴種流離譚」の構造を持つ物語なのであろう。「いまめきの中将」は、物語の中身は想像でき ないが、「いまめかし」とは、現代的で当世風ということで、さらに「中将」という身分からは、権門勢家の若き貴公子というイメージがあろう。「なかゐの侍 従」については、イメージが浮かびにくい。「侍従」とあるから、女官だと思われるが、「なかゐ」はよくわからない。
ただこの4編の物語とも、「男女などに寄せつつ花や蝶やと言へれば」とあるので、「恋の物語」であり、しかも「花や蝶や」という表現からは、ずいぶんと華やかな恋物語であったであろうことが想像できるのである。
しかしこれらの物語についても、源為憲は、「罪の根、言の葉の林に露の御心もとどまらじ」と述べ、結局は異類を主人公とする物語と同様に「嘘」の話であるから、けつして「御心」に止まるものではないだろうと否定するのである。
いつの時代とて同じことだが、少女が夢のような恋に憧れることは、ごく自然のことである。王朝の権門勢家に厳然と存在する“家の掟”に則り、過酷にも既定 の運命を生きて行かざるを得なかった少女に、その思春期のごく短い一時期、閉じ込められた邸宅の内部空間において、物語は、ある種宝石のようにきらめく陶 酔のひと時を与えたのだ。
これらの物語が、「嘘か真か」と問われれば、むろん大人は、即座に「嘘」と答えるであろう。しかし、その「嘘の物語」のなかに、夢のような明日を見出すこ とで、寝殿造り内部における、「つれづれ」の時を、たとえ胡蝶のようにあえかではあっても、少女は、目を輝かせて生きることができたのではなかったか。
王朝物語文化は、そのような権門勢家の女性たちの「つれづれ」を慰める生活文化のなかから生まれてきたのだ。そういう視点から言えば、それは、本来、男性の社会には、ほとんど受け入れられるはずのない性質のものであった。