講義余話
韻文の文学史
日本文学史の根幹を支える分野は韻文分野だと言うことができる。具体的に言えば、漢詩、和歌、連歌、俳諧の歴史である。我が国最初の勅撰は平安朝前期の漢 詩集(凌雲集・文華秀麗集・経国集、これらを「勅撰三集」という)であったことは言うまでもないが、それを和歌に置き換えたものが古今集(905)であっ た。その後二十一代集として和歌の時代は累累として継承されるに至るが、中世における時代の変革は、和歌から連歌というある種のバリエーションを生むこと となった。連歌は集団で創作する文芸だが、中世、なぜこのような形式が好まれたのか、真剣に考えてみるのもおもしろいだろう。近世の俳諧がもと連歌の発句 から起こったのも言うまでもないことだ。
しかし、このような文芸の流れが直線的、単線的に継承されたわけではない。この流れのなかに於いても、あくまでも漢詩は漢詩であり続けたし、和歌は和歌と してあり続けた。漢詩は漱石の時代まで、そして、和歌は、正岡子規が古今集の古典的権威に鉄槌を振り下ろすまで、その命脈を純度高く守り続けた。
それにしても、現在、韻文の文学史は、印象が薄い。昨年の「源氏千年紀」の盛り上がりにも見えるように、今や文学史の印象は、散文の歴史なのである。上 代、奈良時代については、今は措こう。たとえば、平安時代、王朝の文学を代表するものは、源氏物語と枕草子ではないか。その作者である紫式部と清少納言 は、王朝に限らず、日本史を代表する才女として並び評されている。
それにしても、源氏物語のブームはすさまじい。毎日どこかで読書会や講演会が開かれていると言っていい。大学の授業でも、古典の中で最も人気があるのがこ の源氏物語である。また、大学受験、古文で、最も出題されるのが源氏物語であるのは有名な話だ。老いも若きも、この物語の虜になっている。この物語の魅力 については、今は触れない。ただ、源氏物語という物語のジャンルは、平安朝、社会的に見てその地位は、決して重いものではなかった。いや、軽かったと言う べきだろう。源氏物語の出現によって、かろうじて、物語は文学史の世界に刻印された。
我々は、物語は、当時たわいなく価値のないものとして認識されていた、ということを知っておかねばならない。そのかたちは、文学と言うよりも、むしろ文化と呼ぶにふさわしい。日本文学史の正道は、あくまでも漢詩と和歌、すなわち韻文に他ならなかった。