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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-源氏物語講話-

第12回
大い君の死について(一)


「宇治十帖」世界と「光源氏物語」

東洋大学おける「『源氏物語』全巻を読むシリーズ」は、ついにこの秋「総角」巻の大い君の死の場面にまで辿り着いた。この物語においては、この場面は一つの節目であろうと思われるので、以下いささかの所感を記しておきたい。

 

「橋姫」巻から開始されるいわゆる「宇治十帖」の世界は、その存在そのものが異例と言えるかもしれない。それは、この物語の主人公である「光源氏」亡き後の物語だからである。しかしながら、作者は、「匂兵部卿」「紅梅」「竹河」と繋ぎの三巻を間に挟むことで、むしろ、満を持して、宇治十帖世界を書き始めた、と言えるのではないか。まさに、渾身の力を奮って新たに展開される物語世界であった。

かつて、首巻「桐壺」巻を承けた「帚木」巻の冒頭で、「光源氏、名のみことことしう、言ひ消たれたまふ咎多かなるに、」と開始された光源氏の物語が、そのタイトルとして『光源氏物語』と命名されなかったのは、あるいは、その死後の物語(宇治十帖)をすでに作者が予定していたからに他ならない、と思うのは、あるいは、穿ちすぎかもしれないが、しかし、「宇治十帖」の開始に当たって、光源氏の輝かしいまでの栄光の生涯の陰に零落した八の宮一家の物語を語ることは、人の世における宿命的な光と影の在り方として、まさに一対の鮮やかな対照をなす世界ではあった。

「橋姫」巻冒頭から明らかにされる八の宮一家の零落話の源泉は、かつて光源氏の須磨明石の流謫時代、弘徽殿大后方が、冷泉の廃太子を前提として、源氏の弟宮にあたる八の宮を担ぎ出そうとしたことにあった。このことは、八番目の「宮」という皇位継承にはほど遠かった人物に、突然眩しすぎるほどの光が注がれようとしたことになるが、しかしその矢先に、陣営からは政敵となる光源氏が復活したのである。誰が考えても、その後の八の宮の人生には、深刻できわめて厳しい状況が待ちうけたことが理解されるであろう。

そういうことが、新しい物語の開始早々―「橋姫」巻頭において、告げられたのである。これは、物語の予想を超える驚くべき展開であったと言えるのではないか。なぜなら、その巻名「橋姫」とは、当時誰もが共通の知識として親しんでいたに違いない次の『古今集』「詠み人知らず」の歌を示すものだったからである(この歌が当時広く親しまれていたことは、『伊勢物語』「第69段」の老女の詠歌(替歌である)から明白である)。

さむしろに 衣かたしき こよひもや 我を待つらむ 宇治の橋姫

(粗末な敷物に、独りだけの衣を敷いて、今宵も私の訪れを待っていることであろうか、宇治の地に住むあの人は)

―『古今和歌集』「巻14」「恋4」「題知らず、詠み人知らず」―

この歌から伺われる世界こそ、やがて、大い君、中の君が苦しむこととなる宇治の地での恋の厳しい現実そのものに他ならなかった。つまり、巻名提示の時点では、その巻名からもたらされるイメージは、都からの貴公子の訪れを心細く待つ女君の物語という恋の世界の予告そのものに他ならなかったのである。しかし、その直後、巻頭から始まる八の宮の零落話は、これから語り出される物語が、いかに深刻で厳しい展開を示すものであるかということを示唆して余りあるものがあったと言わねばならない。それは、この物語が、巻名の「橋姫」という歌語に示されるような「宇治の橋姫」の恋物語ではあっても、しかし、そういう恋物語としては単純には終らないという作者の並々ならぬ「深き心」からもたらされるものであったからである。

「橋姫」巻から開始される「宇治十帖」世界は、エンターテインメントを目指した「光源氏物語」が、しかし、その光源氏の限りない「光」ゆえに直接的に不幸の淵に沈むことを余儀なくされた八の宮一家の「影」の世界を浮き彫りにするという、言わば、人の世に見られるのっぴきならぬところに踏み出した物語として、新たに我々の前に提示された物語世界でもあったのだ。

この稿続く

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