-源氏物語講話-
第22回
大い君の死について(十一)
「女はらから」を救う貴公子
「初段」の「女はらから」には、具体的な肉付けとでも言うべきものは皆無である。だからこそ、平安初期の平城故京に棲んでいる「女はらから」について、紫式部という物語作家は、そこにゆたかな物語創造の可能性を見出すことになったのである。
「若紫」巻で垣間見された紫の上は、母親を早くに亡くし、さらに、祖母である尼君も病重く、その運命は風前の灯火としか言いようがなかった。父親は「宮」であるとはいえ、母系制の家に属する以上、彼女を待ち受けている将来は、まことに過酷なものがあったと言わなくてはならない。垣間見の対象が「初段」とは異なり「姉妹」ではないことの考察はここでは措くが、巻名に「若紫」という「初段」で誕生した歌言葉を明示した以上、「若紫」巻のヒロインと「初段」のヒロインとの相似形は疑うべくもない。
そして、光源氏と紫の上という男女両主人公が、やがて物語世界から退去したことを承け、満を持して開始された「宇治十帖」世界の冒頭「橋姫」では、光源氏の「光」ゆえにその「影」の世界に沈まざるを得なかった八の宮一家を逆照射し、そこでは『伊勢物語』「初段」の「女はらから」を、「大い君」「中の君」として正面から再生したのであった。この再生こそ、没落貴族の家に沈む「初段」「女はらから」の、具体的な肉付け以外の何物でもなかった。
このような『伊勢物語』の「初段」、そして『源氏物語』の「若紫」「橋姫」に共通する没落のヒロインたちに対して、その危機的状況を救う物語の男性主人公が、それぞれ「昔、男」、「光源氏」、そして「薫」として用意されていることは言うまでもない。彼らに共通する要素としては、没落のヒロインを救い出す存在である以上、卑近な言い方をするならば、揺るぐことのない経済力を挙げなければならない。「初段」の場合、「昔、男」は、「女はらから」が住む「春日の里」を「知る(領有)よしして」と描かれるが、それはその土地の支配者であるがゆえの強力な存在とでも言うべき趣を呈していた。そして、「若紫」巻の「光源氏」と「橋姫」巻の「薫」に至っては、『源氏物語』の正編と続編の正統主人公であることにおいて、みごとにそのことを保証している。
「宇治十帖」に話を戻すならば、生前の八の宮の暮らしも、あるいは死去後に遺された姫君たちの運命も、リアルな問題として、薫の掌中にあることは動かない。八の宮の生前でも死後でもいい、薫が、この宇治の没落皇族一家にほとんど興味を示さなくなったとしたらどうであろう、それは、即この八の宮一家の決定的な破滅につながったのは言うまでもあるまい。しかし、そのようなことはあり得ないことであった。
なぜならば、それは「薫」という人間の、この物語に登場してからの、あるいは、登場する前からの(両親の因縁をも含めた)在り方を貫く人物造型があるからであった。具体的に言えば、薫の求道者とも言っていい「まめ人」としての在り方は、八の宮一家との出会いでその運命を掌中にしたとは言え、それを自己の気儘な変節で翻弄するようなことは、まずあり得ないことであった。
実は、この薫の「求道」の人としての人物像こそが、八の宮の心に、ある逡巡をもたらした要因なのではないかと思われる。八の宮は、いったい、何を逡巡したというのか。それは、生身の姫君たちについて、はたして薫は「妻」として迎え得るのか、という逡巡、あるいは、そのことへの一抹の不安、というものがあったのではないだろうか。
八の宮は、二人の姫君のうち、そのどちらかを薫に託すということにおいて、やはり腹は括っていたものと思われる。しかし、問題は、そのどちらにするかという現実的問題と同時に、薫という人間への評価というものがあったのである。その評価とは、八の宮自身が、その後半生克服するところとなったであろう「男」が持つ「色好み」性というものから、薫という人間が、やはり離れた場所に立つ人間ではないかという観測に基づいている。
この稿続く
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