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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-源氏物語講話-

第26回
大い君の死について(十四)


八の宮の遺言

「若菜上」巻冒頭から展開される朱雀院の思念のように、娘の将来についての不安を取り除く手段は、やはり、しっかりとした後見を立てるということであった。八の宮の二人の姫君の場合も、その本質は変わらないが、朱雀院の女三の宮との決定的な違いは、この姫君たちは、後見がなければ「食べてゆけない」ということであった。

「後見を立てる」とは、女君の場合は「婿」を迎えることになるのだが、特に八の宮の姫君たちには、その婿による経済的な後ろ盾が求められたのであった。そして、八の宮が、その婿の有力候補として、薫の存在を考えたことは当然のことであった。物語を精緻に追ってゆくと、八の宮は、薫に娘たちの後見を頼み、薫もそのことを確約し、八の宮は安堵した、という流れは、何度も示されている。薫は、この八の宮からの依頼に対して、姫君たちを「領じたるここちしけり」(もう自分のものという気がするのだった)という心情を吐露するに至ったのである。ただ前稿でも述べたとおり、この段階において、八の宮と薫との認識には、微妙な齟齬があったのではないかと思われる。

ともかく、薫が八の宮と別れて帰京した後、物語は、いよいよ八の宮の死去の場面へと進んでゆく。

秋深くなりゆくままに、宮は、いみじうもの心細くおぼえおぼえたまひければ、例の、静かなる所にて、念仏をもまぎれなうせむ、とおぼして、君たちにもさるべきこと聞こえたまふ。

(秋が深まりゆくのにつれて、八の宮は、たいそうもの心細く思われなさったので、いつものとおり、念仏を余念なく行おう、お思いになって、姫君たちにもこれからの心得をお話申し上げなさる)

この後、いわゆる八の宮の遺言と言われる言葉が長く続くのだが、この時の八の宮の言葉が、おそらくは、大君のその後の身の処し方を決定的にしたと思われる。長くなるが、以下に引用しよう。


「世のこととして、つひの別れをのがれぬわざなめれど、思ひ慰まむかたありてこそ、悲しさをもさますものなめれ、また見ゆづる人もなく、心細げなる御ありさまどもを、うち捨ててむがいみじきこと。されども、さばかりのことにさまたげられて、長き夜の闇にさへまどはむが益なさを、かつ見たてまつるほどだに思ひ捨つる世を、去りなむうしろのこと、知るべきことにはあらねど、わが身ひとつにあらず、過ぎたまひにし御面伏せに、軽々しき心どもつかひたまふな。おぼろけのよすがならで、人の言にうちなびき、この山里をあくがれたまふな。ただ、かう人に違ひたる契り異なる身とおぼしなして、ここに世を尽くしてむと思ひとりたまへ。ひたぶるに思ひなせば、ことにもあらず過ぎぬる年月なりけり。まして、女は、さるかたに絶え籠りて、いちじるくいとほしげなるよそのもどきを負はざらむなむよかるべき」

(「この世の習いとして、死別は避けられぬもののようであるけれども、何か気持の慰むようなことがあるのなら、悲しさも薄らぐというものだが、他にお世話を頼める人もなく、心細いご様子のあなた方お二人を、見捨ててしまうことがなんともつらいことよ。けれども、その程度のことがさし障りとなって、無明長夜の闇にまで迷うとしたらつまらぬことであるから、一方でこうしてお世話して来た今まででさえこの世に執着を持たぬようにしてきたのだから、亡くなった後のことは知る必要もないことであるが、自分一人だけのためでなく、お亡くなりになった母君の面目をもつぶさぬように、軽率な考えをお持ちになってはなりませぬ。よほどしっかりと頼りになる人でなくては、甘い言葉に誘われて、この宇治の山荘をうかうかと出てはなりませぬ。ただこのように世間の人と違った特別な運命の身とお思いになって、ここで生涯を終えようとお覚悟をお持ちなさい。一途にその気になってしまえば、何事もなく過ぎてしまう歳月なのであるよ。まして、女は、女らしくひっそりと閉じ籠もって、評判となって不体裁でひどくみっともない世間からの非難を受けないのがよいと思われる」)


この八の宮の言葉だが、結果的に「遺言」とはなったものの、しかし、それは、あくまでも、姫君たちが持つべき「心得」といったものではなかったか。その「心得」が、八の宮の突然の死によって「遺言」となったのである。この言葉の中で、姫君たち、特に大い君の胸に強く刻まれたのは、「軽々しき心どもつかひたまふな。おぼろけのよすがならで、人の言にうちなびき、この山里をあくがれたまふな。」(軽率な考えをお持ちになってはなりませぬ。よほどしっかりと頼りになる人でなくては、甘い言葉に誘われて、この宇治の山荘をうかうかと出てはなりませぬ)という言葉であったのは言うまでもない。

この「禁止」の言葉を重ねて言い聞かす八の宮の言葉が、その「最後の言葉」として、姉である大い君の胸を突き刺すように残ったのは、大い君という人の為人というものを考える時、それは容易に首肯できるであろう。

大い君にとって、八の宮の「この山里をあくがれたまふな」という「心得」が、まさしく、父宮の「遺誡」となったのであった。当然のことながら、大い君に、この「遺誡」はきわめて重くのしかかったに相違ない。

この稿続く

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