-源氏物語講話-
第27回
大い君の死について(十五)
八の宮の死―八の宮は、姫君たちのもとへ帰らねばならなかった
八の宮は、山寺参籠にあたって、姫君たちに、いわゆる「遺言」となる言葉を残したのであるが、しかし、これは、先述したように、自身の「死」に直面しての言葉ではなかった。そういう意味では、姫君たちに残す「普段の心得」のような「戒め」であったから、厳密に言えば、自身の死後のことを具体的に指示したものではなかったのである。たとえば、「おぼろけのよすがならで、人の言にうちなびき、この山里をあくがれたまふな(よほどしっかりと頼りになる人でなくては、甘い言葉に誘われて、この宇治の山荘をうかうかと出てはなりませぬ)という遺誡は、姫君たち(特に大い君)に重く受け止められたことは言うまでもない。しかし、よく見ると、ここにはその前提条件とも言うべきフレーズが発せられている。
「おぼろけのよすがならで」というのがそれであって、理屈から言えば、「おぼろけのよすが」(よほどしっかりと頼りになる人)であれば許される、ということになるであろう。しかし、八の宮は、どの人物ならいい、というような具体的なことを言ったわけではない。だから、大い君たちにとっては、「この山里をあくがれたまふな」ということだけが、具体的な指示として重く残ることになったのである。
そして、八の宮の死を語る場面では、帰るはずの八の宮が体調を崩したという知らせが届き「二三日は下りたまはず」ということになる。案ずる姫君たちに、八の宮は、使いの者に口上で次のような言葉を伝えた。
「ことにおどろおどろしくはあらず、そこはかとなく苦しくなむ、すこしもよろしうならば、今念じて」
(特に深刻な状態でもない、なんとなく苦しいので、少しでも楽になれば、近いうちになんとか我慢して)
この「今念じて」という言葉から読み取れる八の宮の心情とは、ぜひとも山荘に帰るのだ、という強い意思に他ならないであろう。姫君たちのもとに、なんとしても帰りたい、という八の宮の思いは、師僧である阿闍梨には、現世への執着と映ったと思われる。
八の宮に「つとさぶらひてつかうまつりけり」(ぴったりとお側に控えて看護申し上げるのであった)と語られる阿闍梨について、物語は、八の宮への直接の言葉を引きつつ次のように描く。
「はかなき御なやみと見ゆれど、限りの旅にもおはしますらむ。君たちの御こと、何かおぼし嘆くべき。人は皆、御宿世といふもの異々なれば、御心にかかるべきにもおはしまさず」
と、いよいよおぼし離るべきことを聞こえ知らせつつ、
「今さらにな出でたまひそ」
と、いさめ申すなりけり。
(「何でもないご病気のように見えるが、これが最期の旅でもいらっしゃるのであろう。姫君たちの御ことは、どうして思い嘆かれることがあろうか。人は皆、御宿世というものがそれぞれ別に定まっているのであるから、あなた様のお考え通りになられるはずのものではない」
と、ますますこの世の執着をお捨てにならねばならぬことをお諭し申し上げては、
「もうこの期に及んでは、決してここからお出にならぬように」
と、お諫め申すのであった。)
この時の阿闍梨の言動から、病んだ八の宮が姫君たちのことを思い、深く嘆いたということがわかるであろう。特に、「御宿世といふもの異々なれば、御心にかかるべきにもおはしまさず」という阿闍梨の言葉から類推すると、八の宮は、姫君たちの今後のことを案じたものと思われる。しかし、その姫君たちの今後については、八の宮は、初秋七月、薫にその後見を託し、薫もそれを確約したばかりではなかったか。にもかかわらず、八の宮は、その最期となるかもしれぬ状況において、阿闍梨から「何かおぼし嘆くべき」と、強く諫められたのである。
しかも、阿闍梨は、「いよいよおぼし離るべきことを聞こえ知らせつつ」とあるように、執着を捨てることを何度も八の宮に迫ったのであった。「聞こえ知らせつつ」の「知らす」とは、八の宮を「説得」するという意味合いがあり、「つつ」は、そのことの継続的な反復を示している。このことは逆に言えば、八の宮は、何度も姫君たちのもとに帰りたいと願ったのであり、そのことに対する阿闍梨の強力な諫めが「今さらにな出でたまひそ」(決して山をお出にならぬように)という禁止の言葉なのであった。八の宮にとって、薫との確約は、あるいは、必ずしも「安心」の境地へと導くものではなかった、と言えるのではあるまいか。
何度も言うが、八の宮は、初秋の七月、薫に対して、「亡からむのち、この君たちを、さるべきもののたよりにもとぶらひ、思ひ捨てぬものに数まへたまへ」と懇願した。そして、薫もまた、「橋姫」巻に続き、ここでも姫君たちの将来について、必ず後見することを確約したのであった。
にもかかわらず、と言ってもいい。八の宮は、この期に及んで、姫君たちの今後のことが、不安でならない、というのである。そして、姫君たちのもとへ帰らねばならない、というのである。八の宮は、まだ死ぬわけにはいかなかった。
八の宮は、姫君たちの「親」として、まだ済ませていないことに気付いたのではなかったか。