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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-源氏物語講話-

第30回
大い君の死について(十七)


「女はらから」から「大い君」へ―匂宮を呼び込む薫

「物語の現実的展開として、薫の相手役―求愛の対象は一人でなくてはならない。作者としては、「女はらから」から「一人の姫君」へと、話を進めねばならないのである。その一人が、言うまでもなく、「大い君」になるのであるが、それでは、薫は、いつからその求愛相手として、大い君を意識するようになったのであろうか。作者は、周到にその必然的ドラマを積み上げてゆくことになる。

その結論の前に、「橋姫」巻で初めて姫君たちを垣間見した薫の心情から見てみよう。その時のことを、物語は、

いみじうあてにみやびかなるを、あはれと思ひたまふ

(たいそう気高くて優雅でいらっしゃるのを、薫はいじらしいと思いなさる)

と語るが、これは、むろん、その対象は「姫君たち」であった。ただ、この直後の薫の挨拶としての贈歌には、当然のことであろうが、大い君が対応した。大い君の答歌に接した薫は、その「をかしげに書きたまへり」と語られる大い君の文について、

まほにめやすくもものしたまひけりと、心とまりぬれど、

(申し分なく感じのいい方でいらっしゃることであるよと、大い君に心が止まったのであるが、)

とあるように、この時は、大い君に心が惹かれたと語られている。しかし、それは、その時に答歌を寄こしたのが、大い君であったというだけのことかもわからない。というのも、その後帰京した薫の心情について、物語は、次のように語るからだ。

思ひしよりはこよなくまさりて、をかしかりつる御けはひども、面影に添ひて、なほ思ひ離れがたき世なりけりと、心弱く思ひ知らる。

(想像していたよりはずっとすばらしくて、風情のあったお二人の姫君のご様子が、目の前にちらついて、やはりなかなか厭い捨てることのできぬこの俗世であることよと、心の弱い自分を思い知らされる)

ここで、「御けはひども」、と明確に複数表現が採られていることに注意しなければならないだろう。薫の対象となるヒロインは、橋姫巻の垣間見以来、『伊勢物語』「初段」に基づくかたちでの「女はらから」として設定されていることが分かるのである。この「女はらから」から単独のヒロイン「大い君」へと移行するのは、実は、「椎本」巻での匂宮の登場に負うところが大きい。

薫にとって、「橋姫」巻での姫君たちの垣間見以降、その恋の対象は「女はらから」であったと言える。しかし、「恋の対象」とは言うものの、その恋とは、道心を強く有する薫にとって、あるいは、良くも悪くも、それは、一種好奇心のようなものではなかったか―。だからこそ、薫は、宇治にいい女がいる、というような軽い気持から、宇治の姫君たちのことを、匂宮に語ったのである。「いろごのみ」の権化のような匂宮が、この手の話に興味を持たぬはずがない。

薫からその話を聞いた時の匂宮の反応を、物語は、「宮、いと切にをかしとおぼいたり」(匂宮は、非常に強く興味をお持ちになる)と語り、薫は、その時の匂宮の反応を見て、「さらばよ」(思ったとおりだ)と満足するのである。その結果、さらに薫は、

いとど御心動きぬべく言ひ続けたまふ。

(ますます匂宮のお気持が傾くように次から次へとお話になられる)

と、匂宮が、宇治の姫君たちにますます興味をそそるように仕向けて行ったのであった。

そして、その後に作者が用意した展開は、匂宮と宇治の姫君たちとの出会いというものであった。それが、「椎本」巻頭に描かれる匂宮の初瀬詣の帰途中宿りとして宇治に立ち寄る場面であり、匂宮がこの好機を逃すはずはなかった。

「椎本」巻の主要な事件は、言うまでもなく八の宮の死去ということになるが、それとともに、作者は、「女はらから」の「妹」―すなわち「中の君」への匂宮の執心を描いてゆく。その結果、薫には、「女はらから」の「姉」―すなわち「大い君」ひとりが残るということにもなるであろう。

薫と大い君との結び付きは、消去法と言えば言葉は悪いが、薫が匂宮を呼び込んだことによる「女はらから」から「妹」を消去することになった結果と言うべきなのかも知れない。

この稿続く

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