-源氏物語講話-
第35回
大い君の死について(十九)
八の宮の認識―匂宮の「すさび」と薫の「求道」
この連載の目的は、大い君の死について、思うところを自由に書こうとすることであるが、突き詰めるならば、なぜ作者は、彼女の死を描かなければならなかったのか、ということに尽きる。このことは、言い換えるならば、なぜ大い君は死んだのか、ということである。
前稿でも述べたように、薫と「女はらから」の物語は、幻想であった。さらに言えば、薫は、その自覚と無自覚とに関わらず、姉妹のうちの一人である中の君を、「色好み」の匂宮に捧げるという流れを作ったと言える。
そして、八の宮もまた、その流れを作ることに加担したのではないか。「椎本」巻において、八の宮は、匂宮への返歌を中の君に促してからの「常にある」匂宮の「御文」について、次のように、中の君に言うのであった。
なほ聞こえたまへ。わざと懸想だちてももてなさじ。なかなか心ときめきにもなりぬべし。いと好きたまへる親王(みこ)なれば、かかる人なむ、と聞きたまふが、なほもあらぬすさびなめり
(やはりお返事は申し上げなされよ。特に恋文のお手紙としては取り合わないようにしよう。かえって期待するようなことにもなってしまうだろうから。たいそう好色でいらっしゃる親王だから、こういう女性がいるとお聞きになられて、やはりそのままにしておけないというだけの遊びであるのだろう)
これを見る限り、匂宮からの頻繁な「御文」について、八の宮は、それを「すさび」として理解していることがわかる。そういう軽い遊び心に対する応対は、中の君がいい、と判断したのである。大い君は、「かやうのこと、たはぶれにも、もてはなれたまへる御心深さなり」(このような贈答など、冗談にも、やってみようとはなさらない思慮深いお人柄)であったからだ。
八の宮が、匂宮から「常に」届けられる「御文」を、軽い遊び心(すさび)からのものと判断する以上、八の宮の意識としては、姫君たちのどちらであったとしても、匂宮と縁付けるという選択肢はなかったであろう。しかし、匂宮の執心は、けつして「すさび」として看過できるような軽いものではなかったのである。物語は、匂宮の執心について、次のように語る。
三の宮ぞ、なほ見ではやまじ、と思す御心深かりける、さるべきにやありけむ
(匂宮は、やはりなんとしても中の君をわがものにしないではおくまい、とお思いになる気持が深かったのであった、そうなるべく前世からの因縁がおありであったのであろうか)
草子地の形で語りだされる匂宮の心情は、きわめて重いものがあると言うべきだろう。この箇所、「見ではやまじ」と書かれる対象は明示されてはいないが、むろん、その相手は「中の君」であって、物語の今後を予告するとともに、八の宮の匂宮に対する認識の甘さを露呈することともなった。
八の宮は、姉妹のうちのどちらかが婚姻すれば、それにもう一人の姫君の生活も託すことができようという希望的観測を持っていたが、そういう姉妹の生活全般を託すことができる人物として、「すさび」の人と認識する匂宮がどうして有力候補者となり得ようか。それは、「まめ人」である薫以外には考えられないことであった。
八の宮が、強い願望として、薫のような人物を婿に迎えたいという心情を持つことはすでに披瀝されていた。しかし、純粋な「求道」の人ゆえそれは無理だろう、という八の宮の一方的な思い込みが、事の処理を狂わせた、と言えるのではないか。
八の宮は、現実的な展望を開くことができぬまま、厄年にあたる61歳の秋、姫君たちに山荘で生涯を送るよう言い遺して、山寺参籠へと駒を進めたのであった。