-源氏物語講話-
第38回
「日本紀などは、ただかたそばぞかし」―「螢」巻の「物語」論(三)
『古今和歌集』の「業平詠歌・詞書」と『伊勢物語』
前稿において、真実を伝えるということで、「日本紀」(六国史)よりも「物語」の方に優位性があるという認識が、「螢」巻の「物語」論には示されていると述べた。そして、その認識を提示するに当たっては、作者は『源氏物語』そのものを念頭に置いているとも述べた。つまり、作者は、当時、大いに流行していた物語一般とは異なる新しい物語―『源氏物語』を創造したのであった。
ところで、物語が隠された真実を伝えるという姿勢は、実は、『伊勢物語』にも見られることを指摘しておかなければならない。ということは、『伊勢物語』もまた、『三宝絵詞』などが言うところの当時の物語一般とは、大きく一線を画する物語であったということになる。
ただ、『伊勢物語』の場合、対峙するofficial-storyに相当するものは、「日本紀」ではなく、「勅撰和歌集」である『古今和歌集』(905年)なのであった。具体的に言うならば、『古今和歌集』に載せる「業平詠歌」の「詞書」ということになる。
『古今和歌集』の業平詠歌は、計30首である。そのすべてが『伊勢物語』に存在しているが、このことは、古くから指摘されるとおり、『伊勢物語』が『古今和歌集』を承けて成立したものであることを物語っている。つまり、『伊勢物語』という物語は、業平詠歌に限定して言うならば、『古今和歌集』に載せる業平詠歌に関わる作歌事情を、後代、再び別のかたちで伝えようとしたものと言えるだろう。その際、古今詞書と大小さまざまの差異を示すものの中で、隠された真相の暴露、とでも言うべき様相を呈する章段があるのである。
業平詠歌に関連する章段(物語)の中では、特に禁忌性を有するもの(禁忌を犯す恋)として、「二条后物語」と「斎宮物語」とが特筆できるであろう。こういったテーマは、恋物語としては最高のエンターテイメント性を有するもので、たとえば、『源氏物語』に見られる光源氏と藤壺との話は、その最たるものの一つと言っていい。この話に関わる冷泉帝の深い嘆息こそが、まさに「日本紀などは、ただかたそばぞかし」という認識に基づくものであることは言うまでもない。
『伊勢物語』の「二条后物語」の場合は、当該の業平詠歌の『古今和歌集』「詞書」と『伊勢物語』「章段本文」とを比較対照するとわかることだが、業平の相手が「二条后」(藤原高子)であると特定できる要素は、『古今和歌集』の当該歌の「詞書」にはないのである。たとえば『古今和歌集』業平詠の「人知れぬ我が通ひ路の関守は宵宵ごとにうちも寝ななむ」(「巻十三」「恋三」)の場合、その詞書には、業平が通った場所を「東の五条わたり」とはするものの、相手を具体的に特定することは不可能なのである。しかし、この歌を載せる『伊勢物語』「五段」の章段末には、「二条の后に忍びて参りけるを、世の聞こえありければ、兄人たちの守らせたまひけるとぞ」という解説的注記文があり、このことにより、『古今和歌集』に載せるところの当該歌の、業平が通った恋の相手が、実は、あの歴史上著名な「二条后高子」(むろん「ただ人」時代だが)であったのだ、とストレートに暴露するかたちとなったのであった。
こういった「隠された真相を暴露する面白さ」こそ、『伊勢物語』という物語が獲得したentertainment-storyの一典型であったと言えるのである。同じことは、「斎宮物語」(69段)にもまったく同様の事情が認められるのであるが、ここでは繰り返さない。
『伊勢物語』は、こうした新しいentertainment-storyの達成を示しつつ、九世紀の歌人たちの物語を綴るのであった。その「深き心」への共感から、紫式部は、『源氏物語』という作品を創造したものと思われる。『伊勢物語』と『源氏物語』との関係は、この国の文学史の深層における共鳴体とでも言うべき関係、と言うことができるのである。