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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-源氏物語講話-

第41回
紫式部の「清少納言批判」(一)―「夕顔」巻の創造(一)


「夕顔」巻頭のイメージ

「夕顔」巻のヒロインは、むろん夕顔の花咲く宿の女=夕顔である。そして、その素性がわかるのは巻末近くになってからで、その時はすでに、ヒロインの夕顔は、この世にはいない。

「夕顔」巻に登場する女君としては、夕顔の他に「六条わたり」の女君がいる。物語が開始されたばかりの比較的早い段階で語られるので、印象深いものがあるが、実は、この女性については、巻頭の、

六条わたりの御しのびありきのころ、内裏(うち)よりまかでたまふ中宿(なかやどり)に、大弐の乳母のいたくわづらひて尼になりにける、とぶらはむとて、五条なる家尋ねておはしたる。

という一文において、その登場が予告されていたとも言えるのではないか。この「六条わたりの御しのびありきのころ、」という巻頭の表現は、考えてみれば、巻頭であるとはいえ、いかにも唐突であって、この女君への関心を誘うに十分な役割を担っていたのではないかと思われる。

この「六条わたりの御しのびありき」という表現からは、当たり前のことだが、女君が、六条大路(左京側である)あたりに居住する人物であることがわかる。そして、それへの「しのびありき」を行うのが光源氏というわけであるが、相手の女の素性は、ここではわからない。わからないが、初めて読むことになる読者は、「六条わたり」に住む女君に、どのようなイメージを持つことになるであろうか。それは、少なくとも、貴族社会の最上流の女君といったものではなく、階層でいうならば、むしろ「中の品」以下の階層ということになるのではあるまいか。

というのも、普通「六条わたり」に住む貴族は、高貴な階層ではなかったからである。当時の貴族階層の居住地は、その位階や身分に伴って展開していたものと思われるが、わかりやすく言えば、たとえば、皇族、もしくは三位以上の公卿たちは、一条から三条を中心に邸宅を構えることが多かった。京都盆地の地形を見ても、それはなだらかに南に向かって傾斜しており、自然の地勢は、南に下るにつれて低湿地が多くなった。つまり、南に下がれば下がるほど、そこに居住する階層は、下流層のそれであったと思われる。

このように考えるならば、「六条わたり」に住む女君のイメージは、この時点では、けっして高貴な女君という印象ではなかったのである。しかしながら、我々は、この物語の解釈についての長い研究の歴史を持っている。その歴史からみれば、この「六条わたり」の女君が「六条御息所」であるということを、後学の立場から、すでに知識として理解している。そういうことを理解したうえで、読み進めるということになるのだが、はたしてそのような姿勢が的確な読み方と言えるものであるのかどうか、そのあたりの反省も兼ねて、この問題は考えねばならぬと思う。

話を元に戻すが、まず冒頭の一文を読む限り、源氏が「御忍びありき」をする女君とは、いったいどのような階層の女君なのであろうか、ということにならざるを得ないのである。そういう意味では、「夕顔」巻頭は、まず、「六条わたり」の女君への謎という出だしを提示したのである。そして、「六条」という地域性から広がるイメージによるならば、「六条わたり」の女君は、ほぼ間違いなく中下層階級に属する身分だと予想させるものがあるのである。

つまり、源氏と「六条わたり」の女君とは、相当身分違いの関係なのではないかという推測的印象が生ずるのである。しかしながら、物語は、この推測を全面的に否定し、予想外の方向へと展開してゆくことになるのは周知のことであろう。

この稿続く

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