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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-源氏物語講話-

第45回
紫式部の「清少納言批判」(一)―「夕顔」巻の創造(三)


清少納言の「夕顔」

『枕草子』の前半、いわゆる「類聚章段」が多数集中するあたりに、「草の花は」という書き出しで始まる章段(角川文庫『枕草子』「64段」)がある。長いので、今そのすべてを引用するのは控えるが、このなかに「夕顔」に関する一節が存在する。該当箇所を次に示してみよう。

夕顔(ゆふがほ)は、花のかたちも朝顔(あさがほ)に似て、言ひ続けたるに、いとをかしかりぬべき花の姿(すがた)に、実(み)の有様(ありさま)こそ、いとくちをしけれ。などて、さはた生(お)ひいでけむ。ぬかづきといふ物(もの)のやうにだにあれかし。されど、なほ、夕顔といふ名(な)ばかりは、をかし。

(夕顔は、花のかたちも朝顔に似て、朝顔、夕顔と言い続けてみると、とても風情があるに違いないような花の趣きなのに、その実の格好が、なんとも残念な限りだ。どうして、あんな不格好な実が成ることになったのであろうか。せめて酸漿という物の実ぐらいであってほしいものだ。けれども、やはり、夕顔という名前だけは、素敵だ。)

前回のコラムで、「夕顔」(植物としての「夕顔」である)を「日本文芸史上、初めてそこに取り上げたのは清少納言であった」と記したが、これは、文芸の世界での初出が『枕草子』であるということを指摘したのであり、日常語としての「夕顔」は、むろん、古くから存在していたに違いない。このことは、「夕顔」という言葉が、日常語としてはともかく、和歌などの文芸では用いられなかったことを意味している。つまり、上流の貴族階層における認知度は、おそらくは低かったのであって、そのことを雄弁に物語るエピソードが、『源氏物語』「夕顔」巻頭での光源氏の「遠方人にもの申す」という言葉だったのである。

『枕草子』における清少納言の「夕顔」に関する述懐は、「夕顔」への率直な感想に他ならない。ここで注目したいのは、「花のかたちも朝顔に似て、言ひ続けたるに、いとをかしかりぬべき花の姿」という箇所である。「言ひ続けたる」とは、「朝顔」「夕顔」と言い続ける、ということで、その語構成が同質であることが「をかし」と言うのである。その語構成とは、同一の語彙である「顔」を有するだけではなく、「朝」と「夕」という対照をなす概念を有することでもあろう。

このような清少納言の感性は、自分たちの身近に存在する植物であるにもかかわらず、和歌的世界とは懸け離れた世界に追いやられている地味な「夕顔」を、あくまでも率直に、かつ、その魅力を面白く取り上げることになったのである。このことは、ある意味では清少納言の功績と言っていいのであって、まさに日蔭の時空に咲く「夕顔」を、陽の当たる世界に引っ張り出したと言うに近い趣があるのではないか。そういう感性というものは、やはり評価されてしかるべきものがあると言っていい。

そのことはともかくとして、「夕顔」という言葉のおもしろさを「をかし」と強調しつつも、その「実の有様」が「くちをし」―残念だと言うのは、表面的な形状を面白がっているわけで、ユーガオの実からすれば、なんとも迷惑千万な話であろうと思われるが、しかし、これが清少納言の、まさに歯に衣着せぬ感性の表出ではあった。そして、最後に、「なほ」―それでも「夕顔といふ名ばかりは、をかし」と結ぶのは、その表徴にしか視線が向かないこの人らしい感想と言うべきであろう。

繰り返しになるが、自分たちの日常世界に存在しつつも、決して注目されることはなかった「夕顔」を、『枕草子』という文芸世界に紹介した功績は大きい。しかも、その魅力を、「朝顔」「夕顔」と並べて捉えたところは注目に値するのである。なぜなら「朝顔」は、『萬葉集』以来の伝統的文芸世界に花開く言葉であったからだ。しかしながら、清少納言という人は、ただ「朝顔、夕顔」と言い続けることの表面的な面白さに興じただけのことであった。

この稿続く



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