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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-源氏物語講話-

第46回
紫式部の「清少納言批判」(一)―「夕顔」巻の創造(四)


「夕顔」巻の「夕顔」と「朝顔」

「夕顔(ユーガオ)」という言葉は、いわゆる「歌語」などといった範疇に属する特別なものではなく、生活の中で普通に使用される一般的な言葉であった。清少納言は、そのような地味な言葉に注目し、紫式部は、それを「巻名」に採用した。清少納言が『枕草子』に取り上げることは、むろん、功績と言っていいのだが、紫式部が物語の「巻名」に用いることは、相当に勇気のいることであったと言えよう。なぜなら、『源氏物語』の読者とは、あくまでも中宮彰子であり、さらにそれに加わるところの彰子側近の女房たちであったからだ。その最上流たる世界から隔絶した話題というものは、本来、取り上げること自体難しかったであろう。つまり、「夕顔」とは、高貴な世界とは相反する「あやしき」世界の象徴なのであった。このあたりの機微について、玉上琢彌博士は、次のように述べておられる。

夕顔の巻は、あやしき、下ざまの、下の品の世界を舞台にする。文も絵も、当時の物語の真の読者には、見なれない、あやしきものばかりである。あやしきものばかりでは、読者の意を迎えないことを恐れて、作者は、六条の女君を点綴する。

~中略~

この秋の「朝顔の花」の贈答と、巻頭の夏の「夕顔の花」の贈答と、作者は実にしくんだものである。六条と五条との近くにあって、二人の女はみごとなコントラストを作る。

『源氏物語評釈』

この玉上評釈の批評は、当を得た解説と言うべきであるが、本稿の立場は、紫式部が『枕草子』を読んだか、あるいはその内容を知っていたであろうとするものであるから、「みごとなコントラストを作る」という博士の指摘には敬意を表しつつも、その源泉には、『枕草子』の「夕顔は」の叙述を考えるべきであろうと思うのである。

清少納言は、あるいは、単純に両者の語構成の対照の面白さに興じただけのことかもしれないが、しかし、当時の歌人たちが見向きもしなかった「夕顔」について、「されど、なほ、夕顔といふ名ばかりは、をかし」と評価した功績は否定すべくもない。その功績は、ありていに言えば、光の当たらなかった存在に光を当てたということであって、これは、紫式部という人の、物語創作の根幹に関わるモチーフに通ずるものがあると言えなくはない。紫式部は、この「夕顔」についての清少納言の叙述を、おそらく評価するところがあったものと思われる。その評価の姿勢が、たとえば「夕顔」巻における「夕顔」と「朝顔」との積極的な比較対照の姿勢に表れているのではあるまいか。

たとえば、玉上博士が、「六条わたりの女君」の邸での「朝顔の花」の贈答と巻頭に描かれる「夕顔の花」の贈答について、作者が「しくんだもの」と断定されるのはそのとおりであって、そのことは、光源氏のそれぞれの詠歌を並べてみることで明白であろう。最後の句に置いた「花の夕顔」と「今朝の朝顔」といういわゆる体言止めの語句の対照も、むろん、作者が意識的に配したものであることは言うまでもない。

寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔

咲く花にうつるてふ名はつつめども折らで過ぎうき今朝の朝顔

そして、さらに「夕顔」と「朝顔」のそれぞれの場面において、その花を取って源氏に差し上げる人物が、両場面とも「をかしげなる」「童」であって、両場面が共通する設定となっている。このことも、その積極的対応を示そうとするものであるのは言うまでもない。

このような、「夕顔」と「朝顔」との積極的な比較対照からは、作者紫式部の強い意図を感じざるを得ない。これは、大胆な言い方をすれば、その着想の源泉を『枕草子』「夕顔は」の叙述に求めていいのではないかと思われる。あるいは、紫式部は、「夕顔」巻の物語化にあたって、「夕顔」と「朝顔」との比較対照の視点を取り入れるヒントとした、と言ってもいいだろう。

ただし、紫式部という人は、清少納言のように、単に両者(朝顔・夕顔)の対照を面白がるだけの人ではなかった。両者の存在そのものに明暗分かれる世界を認識し、そこに、人間社会が有する光と影の宿命的対照とでも言うべきものを表徴させたのである。この「光と影の宿命的対照」こそ、紫式部がこの物語全編を通じて繰り返し述べるところの『源氏物語』の重大なテーマなのであった(このことを堂々と正面から捉えたのは「宇治十帖」である)。作者は、そのテーマを、あくまでも伝統的な物語の枠組み―エンタ-テイメント性からはずれることなく、みごとなバランス感覚のもとに追い続けたと言えよう。この「夕顔」巻で、そうした問題意識が、部分的であったとしても、すでに鋭敏に発揮されていることに注意しなければならない。

「朝顔」「夕顔」の並列する対照的な面白さを、単純かつ率直に指摘した清少納言に対して、紫式部は、深い思索に基づいて「夕顔」巻の物語創作を実践した。それは、ある意味で、清少納言に対する強烈な批判であったに違いない。



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