-伊勢物語論のための草稿的ノート-
第12回
『伊勢物語』作品論のために(一)
『源氏物語』の『伊勢物語』論―再び「絵合」巻から―
『伊勢物語』「成長論」は、この物語にとっては、ある意味で悲劇であった。それは、この物語がおよそ1世紀に渡って「成長」し続けたと仮定することで、この物語の“作品として価値”を考えようとする姿勢が奪われてしまったことを意味するからだ。「成長論」は、およそ百年に渡る『伊勢物語』の成長を仮定するのであって、そこからは、たとえば自然が創造した鍾乳石のような作品体を想定することはできても、人間の魂の叫びとしての「作品」のあり方を問いただそうとする姿勢が生まれることなど、とうていあり得ない。成長論に拠る限り、『伊勢物語』には、厳密な意味での作者は存在しないし、「作品」というものが有する激しい主張など存在しようがないのである。
さて、すでに述べたことだが、『伊勢物語』についての文献上の初出は『源氏物語』である。『源氏物語』における『伊勢物語』の評価、あるいは、その扱い方は、『伊勢物語』という作品の性格を考える上で、重要な示唆を与えてくれるであろう。具体的には、成立の問題についても見逃すことのできなかった既出の「絵合」巻を検討しなければならない。もう一度、その箇所を掲げておこう。
次に、伊勢物語に正三位を合はせて、また定めやらず。これも、右はおもしろくにぎははしく、内裏わたりよりうちはじめ、近き世のありさまを描きたるは、をかしう見所まさる。平内侍、
「伊勢の海の深き心をたどらずてふりにし跡と波や消つべき
世の常のあだことのひきつくろひ飾れるに圧されて、業平が名をや朽すべき」と、あらそひかねたり。右のすけ、
雲の上に思ひのぼれる心には千尋の底もはるかにぞ見る
「兵衛の大君の心高さは、げに捨てがたけれど、在五中将の名をば、え朽さじ」とのたまはせて、宮、
みるめこそうらふりぬらめ年経にし伊勢をの海士の名をや沈めむ
『伊勢物語』が、光源氏が後見する斎宮女御方の提出した物語であったことはすでに述べた。その斎宮女御方に所属する女房である「平内侍」の歌にまず注目すべきである。「伊勢の海の深き心をたどらずてふりにし跡と波や消つべき」であるが、「伊勢の海」とは、『伊勢物語』のこと、その「深き心」に触れることなく、古い物語だからといって、けっして否定してはならないという意味である。この和歌の中の「深き心」という表現に注意しなければならない。
ここで、「深き心」がどういうものであるか、具体的に述べているわけではないが、「深き心」とは、表面からはなかなか窺い得ぬもの、そういう何ものかを、『伊勢物語』は有している、と言っているのである。その「深き心」を、探し求めるべきだとも言っているわけで、このことこそ、紫式部が遺したメッセージだと言うことができるであろう。
さらに言えば、繰り返される「業平が名」「在五中将の名」という表現、すなわち、「在原業平」という人物の「名」の問題である。「名」とは、この場合、「名誉、名声」というほどの意味であろうから、当然のことだが、我々に与えられた課題は、「在原業平」という人物についての評価の問題を考えなければならないのである。
それにしても、この「絵合」巻の紫式部の認識はどうであろう。『伊勢物語』には「深き心」があると言うものの、具体的には何も説明することなく、また「在原業平」の「名」について、それを否定できないと繰り返し主張しながらも、その理由については、具体的に何も言及することはない。そして、最後に、「伊勢をの海士の名をや沈めむ」と、『伊勢物語』という作品の「名」は否定できないのだ、と、ここでも「名」を強く主張するのだ。
紫式部のこのような姿勢は、『伊勢物語』という作品への、いわば絶対的評価と言い得るものであって、この絶対的評価の真相を、我々はぜひとも解き明かさなくてはならないのだ。ある意味では具体的に述べることができないほど、『伊勢物語』への評価は高いと言うべきであるが、実は、その評価の諸相は、『源氏物語』の随所に、その作品形成の次元で端的に示されてもいるのだ。