-伊勢物語論のための草稿的ノート-
第17回
物語の冒頭を考える(一)
「初段」について(二)
主人公が「春日の里」を「知る」ということ
「初段」―オープニングにおいて、颯爽と登場した主人公は、いったい何者なのか、本文を読む限りでは、実は、具体的データは何一つない。年少での「元服」ということ、「鷹狩」をするために旧都「奈良」の「春日の里」に来たということ、という設定に過ぎないのだが、このくだりについて、物語本文は次のように記している。
昔、男、初冠して、平城(なら)の京、春日の里に知るよしして狩に往にけり。
ここで見逃してはならないのは、主人公の「男」が「春日の里」を「知る」と言っていることであろう。「知る」とは、この場合、領有するという意であることはすでに述べた。すなわち、この男か、もしくは、男が所属するところの「家」は、奈良の「春日の里」を私有地として領有しているということになるのである。
初段の時代がいつ頃の話であるのか、精緻には断定することはできないが、「平城京」を「ふるさと」(旧都)と呼んでいることや、次の第二段の時代設定が「平安京初期」である点に鑑みるならば、初段の時代設定も、おそらく同時期であると考えるべきであろう。
この当時(平安京初期)、奈良の「春日の里」を領有することが許される氏族と言えば、当地の「春日大社」と「興福寺」を「氏神・氏寺」とする「藤原氏」以外には思い浮かべようがないであろう(当時は律令で言う「公地公民」の制であり、一部の特権階級を除いて土地の私有は認められていなかった)。
その「春日」で、主人公は、「狩」―「鷹狩」を行うのである。「鷹狩」とは、遥か古代の中央アジアに発祥し、かの地の王がたしなむものであったことはよく知られている。やがて朝鮮半島を経て、我が国には、仁徳天皇時代にもたらされたと『日本書紀』は言う。それゆえ、観念としては、古代の英雄―天皇にのみ許された「王権」を具現する行為の一つという性質を持つ。
そういう人物として「初段」の男が登場し、さらに「春日の里」を領有する、と語るのである。それらから導かれることは、主人公が「天皇家」の系譜に連なる人物であるということに加えて、「春日の里」(藤原)を支配領有する人物でもある、というイメージではないか。
もしも、この物語が誕生した最初の読者が「反藤原の世界」にいる人々であったとするならば、すなわち、そういう「家」で制作されたものであったとするならば、この主人公像はどう映ったのか、ということを想像するのもおもしろい。
『伊勢物語』は、「第三段」以降の「二条后物語」を読み進めていけばわかることではあるが、実は「反藤原」の姿勢を鮮明に示している。たとえば、「第六段」では、藤原基経、国経を「鬼」と表現していることや、「百一段」では「あやしき藤の花」にちなんで藤原氏への必要以上の追従姿勢を見せるのも、すべては、「反藤原」の精神から発している。
しかし、当時の絶対権力機構であった「藤原氏」(北家)への反発の姿勢は、「物語」という「文化」の枠組みの中であったからこそ表出が可能であった。「物語」という、まったく公的には問題にならぬ次元のエンターテイメント(言葉は悪いが、女子供のたわいのないものとして認識されていた)であったからこそ、そこには、いわば何を描いても許されたのである。
『伊勢物語』とは、そういう「物語」の持つ"自在性"のもとで、その衣の下に鋭利な刃物を隠し持つような作品ではあった。
ここには、「薬子の変」以降、すなわち藤原冬嗣以降、「藤原北家」に蹂躙し続けられてきた没落貴族の、「物語」という遊戯世界にのみ許された、「諧虐」にも似た反発の精神がある。