河地修ホームページ Kawaji Osamu
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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第20回
「なまめいたる女はらから」考(一)

 

「なまめいたる」について

物語には、理想的な男女両主人公の登場が求められる。彼らは、当時の物語の享受者たちすべてを満足させ、納得させられるだけの主人公でなければならなかった。

『伊勢物語』の「初段」においては、元服したばかりの"都の若き貴公子"が、颯爽たる「昔、男」として登場したのである。

一方、その相手役のヒロインはどうか。「初段」は多くを語っていないかに見える。物語文は次のように言うだけである。

その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。この男、かいま見てけり。おもほえず、ふるさとに、いとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。

「その里」とは、むろん前文の「奈良の京、春日の里」を指している。「その里」に住む「いとなまめいたる女はらから」がヒロインなのである。この短い表現のなかから、しかし、物語のヒロイン性はしっかり述べられていると言わねばならない。

まず、このヒロインをストレートに「なまめいたる」と形容している点であろう。

「なまめいたる」とは何か。言葉としては、「なまめきたる」の音便のかたちである。すなわち、動詞の「なまめく」に助動詞「たり」が接続しているのだが、「なまめく」をそのままにして、この語句を現代語に言い換えれば、"なまめいている"という表現になるほかはないだろう。ということは、「なまめく」という語を理解すればいいとしうことなのだが、「なまめく」単独で用いた場合の語義とこれに「たり」などの付属の要素が複合した場合は、若干ニュアンスが異なってくるようである。

この時代、「なまめく」と「なまめいたる」の用例は、そう多くはないものの、存在している。

 

まず「なまめく」であるが、『伊勢物語』「39段」に次の用例がある。

この車を女車と見て、寄り来て、とかくなまめくあいだに

このくだりは、皇女の葬送の夜、業平とおぼしき男が、恋人と一緒に、葬列を見物しがてら女の牛車(ぎっしゃ)に同乗していたところ、当時評判の「色好み」だった「源至」(嵯峨天皇の孫)が、車に男(業平)がいることも知らずに車中の女を口説くという場面である。要するに、この「なまめく」とは、至が女を口説くために言い寄る態度、もしくは自分の魅力をアピールするという体(てい)であろう。つまり、求愛の行動を示しているのである。

もちろん、求愛の行動とはいえ、現代のように積極果敢に相手を口説き通すということではなく、それなりの節度というものはあったと思われ、ある種の美意識に基づくアピールではあったと考えられる。おそらく、そのあたりの機微が、「なまめく」に「なま」と「めく」という"曖昧さ"の語性が求められる所以ではないかと思われる。

この「39段」の至の行動が、ともかく、自らの魅力をアピールするものであるとするならば、初段の「なまめいたる」とは、男を夢中にさせるだけの魅力をたっぷり持っているという、女のイメージの説明になるのではないか。

よく言われるように、王朝の美的語詞として最高級に位置する「なまめかし」との関連から、語幹の「なま(生)」に注目し、若くみずみずしい魅力と解釈することも可能ではあるが、ここでは、男の心を捉えるに十分な魅力を持っている、という程度でよかろうと思われる。

 

同じような用例は、ほぼこの物語と同時代と言っていい『古今集』にも指摘できる。

秋の野に なまめき立てる をみなえし あなかしがまし 花もひと時(古今集・巻19・雑体・僧正遍昭)

この例も、人を引き付ける魅力をたっぷり持っているということであろう。さらに、「なまめいたる」の用例としては、『源氏物語』「夕顔」巻に次の例がある。

薄物の裳あざやかに引き結ひたる腰つき、たをやかになまめきたり。

これも、「薄物の裳」を鮮やかにまとっている「腰つき」が、異性(ここでは源氏である)を引きつける強烈な魅力を発揮しているということなのである。

これらの例から考えるならば、『伊勢』「初段」の「いとなまめいたる」とは、男をひきつけるに十分な魅力を持つ、という意と考えていいだろう。そういうすぐれて魅力的な「女はらから」を「垣間見」たのであるから、「男」は「心地まどひにけり」という結果になったのである。

 

「女はらから」について

さて、次に注意しなければならないのは、「女はらから」という語彙である。

「女はらから」は、"姉妹"を言う言葉である。「はらから」とは、もとは、同じ"腹(はら)"から生まれた兄弟姉妹を指す言葉であるから、ここは、それに「女」を付けて、「女のはらから」=「姉妹」ということを言ったのである。

この語の理論的解釈については、すでに拙著において明確に提示しているので繰り返さないが(『伊勢物語論集-成立論・作品論-』、竹林舎、2003)、この語に対する、平安朝当時の、あるいはそれ以降の大多数の読者の自然な"受け止め"は、事実として"姉妹"ということであった。

"ことば"というものは"理屈"で成り立つものではないから、後世の人間が、学説としての"新見"を求めるあまり、強引に新解釈を提示しようとすることは、奇をてらうというよりも、笑止であるかに見える。古典は、学問・研究の対象である前に、当たり前のことだが、純粋に一個の"読み物"でなくてはならないのだ。

一事例を挙げるならば、紫式部は、間違いなくこのくだり、「女はらから」を"姉妹"として読んでいる。『源氏物語』の「若紫」巻がこの「初段」を下敷きとしていることは、すでに指摘されていることではある。ここでは、源氏の「垣間見」の対象は、"姉妹"ではなく"祖母と孫"ではあったが、こうした微妙な"アレンジ"により「若紫」巻は成り立っているのである。たとえば、舞台は"奈良"ではなく"北山"であり、季節は"早春"ではなく"晩春"であった等々、すでにあらためて指摘するまでもないことであろう。そして、驚くべきことに、『源氏』の作者は、物語最後の「宇治十帖」の開始にあたっても、再び『伊勢物語』の「初段」に基づくという姿勢を、より鮮明に提示したのである。

「宇治十帖」の開始の巻とは、むろん「橋姫」巻であって、その主人公「薫」が宇治を訪問、物語は、そこでの薫の「垣間見」によって大きく動いていくのである。

そして、その「垣間見」の対象が「大君」と「中君」、すなわち八の宮の姫君たちの"姉妹"であったことはよく知られている。宇治に出向き偶然「垣間見」をした薫は、もちろん、先行の『伊勢』『源氏』の主人公同様、その心が大きく動かされる結果となるのだが、「まめ人」である薫は、そのうちの「大君」一人を愛することとなるのである。実はこのところに、『伊勢』「初段」の男のケースとの鮮やかな対照があると言っていい。すなわち、この対照が、「まめ人」と「いろごのみ」との対照なのである。

光源氏の場合、実際の「垣間見」の対象は"紫の上とその祖母"なのだが、しかし、この垣間見で、源氏の心を大きく突き動かすものは、"紫の上"が"藤壺"に「いとよう似たてまつれる」-すなわち"藤壺"の血縁としての"紫のゆかり"であったことに起因することは言うまでもない。

今風に言えば、ここには「藤壺」(紫)とその「血縁」(ゆかり)を同時に愛するという構図が、『伊勢』「初段」の"女はらから"を同時に愛するという"いろごのみ"の構図からもたらされたのである。これもまた、紫式部一流のアレンジであったと言うべきであろう。

源氏の作者は、『伊勢』の"姉妹"に同時に求愛し我が物にしようとする「男」の姿勢に、すでに失われた古代の"いろごのみ"像の再生としての"物語"の構図を読み解いたのであった。

この稿続く

 

2013.5.3 河地修

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