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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第49回
うたびとたちの日常―男と女の贈答歌(2)

 

『伊勢物語』における実名の消去とは、ほぼ在原業平に限定されている。たとえば、物語前半における「男」や後半の「翁」などがそれであって、このことは、実在した在原業平という個人を、さらに大きく拡大することの手法であったと思われる。つまり、この物語の主人公について、実在の「業平」を「昔男」や「翁」へと拡充させることで、「個人の物語」から「九世紀のうたびとたちの物語」へと大きく展開させることができたのであった。

しかしながら、『伊勢物語』の実名消去の方法は、ほとんど「業平」以外には見いだせないのであって、この十九段のように、『古今集』において明らかに「紀有常女」とあるものを、「御達なりける人」「女」という表現に換えるようなあり方は特異と言うほかはない。

これは、やはり「紀有常女」を消去しなければならない理由があったのだと考えるしかないだろう。わかりやすく言えば、『伊勢物語』「十九段」の提示による『古今集』の当該贈答歌の当事者は、実は、業平と有常女ではなく、同じ宮仕えをする男女のこと―つまり、少なくとも、一方の当事者は「紀有常女」ではないという趣旨を示そうとするものと思われる。

この場合、『古今』『伊勢』当該の贈答のあり方を考えてみよう。まず『古今』の場合は、詞書に「業平朝臣、紀有常が女に住みけるを」とあり、これは、業平が、いわゆる「通ひ婚」として「有常が女」と婚姻関係であったことを物語っている。しかし、その夫婦間において、何か「恨むることありて」、業平が「しばしの間、昼は来て夕さりは帰りのみしければ」という行動を取ったというのである。これは、当時の「通い婚」としては、やや異常としか言いようがない。

「昼」妻のもとに来るものの、しかし「夜」には帰るという夫である業平の行動は、はやく言えば、昼間顔は見せるけれども、しかし夜のつき合いは御免蒙るという、ある種の嫌がらせにほかならないのである。そのことを承けて、妻である「有常女」は「天雲のよそにも人のなりゆくかさすがに目には見ゆるものから」―空に浮かぶ雲のように、私から遠く離れた存在にあなたはなるのでしょうか、そうはいっても私の目には見えるけれども―と、昼間来ては夜になると帰るという行動を繰り返す業平に、その苦渋の思いを歌に詠んで贈ったのであった。

この夫婦の間に、いったいどのようなことがあったのか、その詳細はわからないが、業平の返歌「ゆきかへり空にのみして経ることはわがゐる山の風はやみなり」―天雲のように、私が行き帰り空にばかりいるのは―夜は泊まらないのは、私がいる山の風が強いから―つまりはあなたのせいなのです―から想像するに、少なくとも、業平は、その原因は妻側にあると非難していることになろう。

このやりとりは、単純な夫婦間のトラブル、つまり、たわいのない夫婦喧嘩のようなものかもしれないが、しかし、夫である業平から「わがゐる山の風はやみなり」と、妻の有常女に非があるという指摘において、有常女側からすれば、その名誉に関わることという気持ちも生じるのではないだろうか。さすれば、『伊勢物語』制作の段階において、作者は、何らかの理由から、紀有常女の不名誉を払拭しておきたいと思ったのかもしれない。

さらに、夫としての業平の行動が、「昼は来て夕さりは帰りのみ」する―昼間顔は見せるが、夜の夫婦生活は拒否するという、夫(男)としては、生々しくかなりきわどい嫌がらせになっているということであろう。このことは、物語の主人公である在原業平の「いろごのみ像」として致命傷にもなりかねない行為と言えなくもないだろう。

『古今集』に見られる業平と有常女との夫婦間の贈答は、それはそれで、当時の「九世紀のうたびとたちの日常」そのものにほかならない。そういう意味では、何も無理を犯してまでも、このやりとりを大きく作り換える必要もなかったのではないかという見方も出てくるかもしれないが、しかし、エンターテイメント性をまず前面に押し出す「物語」としては、その主人公である「在原業平」のイメージは、あくまでもスマートでなければならなかったのである。

そういう意味では、第十九段の男女が、お互い同じ所で「宮仕へ」する男女どうしという設定(つまりオフィスラブのようなもの)に換え、さらに、この女を「また男ある人(他に男を持つ女)」にしたことにより、『古今』に見られる業平の、男としての生々しい嫌がらせの印象が払拭されていることがわかるであろう。

物語制作上は、これらのことは「改変」と言うべきであろうが、この物語の基本方針としては、『古今集』「巻十五」にある業平と有常女との贈答は、実は、同じ所で「宮仕へ」する男女のことであったのであり、けっして業平と有常女との夫婦のやり取りではなかったのだ、という情報の訂正でもあったと考えるべきである。なぜなら、『伊勢物語』は、『古今和歌集』成立(905年)後に、あらためて「物語」として成立したものなのであり、それは、「物語」としてしか伝えられない新たな真実の提供という側面を持つ物語だからなのである。

 

2017.7.30 河地修

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