河地修ホームページ Kawaji Osamu
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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第54回
うたびとたちの日常―男と女の「おのが世々」(21段)(三)

 

物語文と和歌とのみごとな融合

21段の場合、妻の家出に関して、夫はまったく心当たりがないというのである。こういうケースは、現代で言えば、たとえば、定年退職を期に、突然妻から離婚を突き付けられた夫の狼狽ぶりに似ている。定年退職まで、これまで必死に家族のために働いてきたつもりなのに、なぜだ?とその理由に心当たりがまったくないという夫は、現実問題として、残念ながら多いらしい。

ところで、21段の夫は、少なくとも、自身としては、これまで妻のことを愛してきたつもりであった。だから、妻の家出に関して、「心おくべきこともおぼえぬ」し、「何によりてかからむ」と「いといたう泣」くしかなかったのである。そして、物語は、男の呆然とした喪失感を、

思ふかひ なき世なりけり 年月を あだに契りて 我やすまひし

(愛したかいもない夫婦仲であったことだ、今まで二人で暮らした年月を、私がいい加減な気持ちで暮らしたというのであろうか)

と表出し、その姿は、まさに茫然自失の体と言ってよかった。この和歌にある下の句「あだに契りて我やすまひし」からは、相手はともかく、「我」=「自分」は、これまで誠実に愛してきたのに、という男の自負にも似た思いを読み取ることが可能であろう。

このような夫婦間のずれとも言うべきものは、当事者の片方(妻)にしかわからないという一種微妙なものがあろうが、当然のことながら、当事者のもう片方である夫には、そのことの理由がわからないのである。わからないから、茫然自失の体となるのであるが、その時の男の姿を、物語は、簡潔に「ながめをり」と表現する。

この「ながめをり」は、「ながむ」と「をり」の二語から成り立っている。「ながむ」とは、漢字で表せば、「眺む」ということになるが、ここはやはり、「ながむ」と仮名表記であるべきだろう。散文的に言えば、何かを眺める行為なのであるが、韻文、すなわち和歌世界においては、ぼんやりと物思いにふける行為であり、多くは、「長雨(ながめ)」との掛詞的発想の中で用いられる歌語であった。

つまり、ここで歌語でもある「ながむ」が用いられることで、文脈は、和歌世界的色彩を帯びることとなる。そして、もう一つの要素である「をり」は、動詞に補助動詞として接続することで、持続の状態を表わすことになる。ここでは、男の行為として、ぼんやりと物思いに沈む行為が持続されることを表現しているのである。

この散文脈「ながめをり」から導き出された和歌が、

人はいさ 思ひやすらむ 玉鬘 おもかげにのみ いとど見えつつ

(あの人は、さあどうであろうか、私のことを今頃は思っているのではないだろうか、あの人の面影ばかりが、いっそう目の前に浮かび続けていることだ)

なのであった。

「思ひやすらむ」と現在推量のかたちを取り、さらに「玉鬘」という長く絶えない心を象徴する歌語が用いられるのは、男の心情の行為である「ながめをり」という表現からなのである。物語文と和歌とのみごとな融合と言うしかない。

そして、男には、女の「おもかげ」が「いとど見えつつ」という状態であった。「おもかげ」とは、目の前に相手の姿が浮かぶことであって、いわゆる「まぼろし・幻影」ということになるが、古代においては、当の相手の思い、あるいは魂が「おもかげ」となって表れると信じられていた。すなわち、女が「おもかげに見え」たとは、女がまだ自分のことを強く思ってくれていると思う男の心情に繋がるのである。そして、そのことを裏付けるかのように、女から歌が送られるのである。

この女、いと久しくありて、念じわびてにやありけむ、言ひおこせたる、

(この女は、ずいぶんしばらく経ってから、寂しさにこらえきれなくなったのであろうか、次の歌を詠んでよこした)

前の和歌にある「おもかげ」という表現世界の予告どおりということになって、このあたり、和歌と物語文とがみごとな融合のかたちを示しつつ展開されているであろう。

女は、自ら家を出ておきながら、しかし、男にまだ自分を忘れられたくないという思いが強くあるのである。こういうことは、男と女の別れ際の物語によくあるかたちであって、このあたりの展開には、そういう複雑な心情が、実に精緻に描かれていると言うべきである。そういう微妙な男女の思いが、次に展開される贈答のやりとりに表現されていくのである。

 

2017.9.17 河地修

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